【第86回9月24日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
山田 太一郎さん
今日の特異点
人間は何処から来て、何処に向かうべきでしょうか?
様々な哲学者が生まれ、哲学的なアプローチや議論を重ね究極の答えを追及してきましたが、未だに明確に確立してはいません。
そして人間が解決しなければならない宿命的課題に正面から向き合えなくさせている社会システムと人間の可能性をが拓ない教育の在り方がますます遠のかしている。
「自分は一体何者で、何故生まれたのか?」
瞬く間に過ぎる日常の中で、ふと思い巡らせたとしても雑多な情報の一部だと脳は処理してしまう。
その繰り返しは感覚を鈍らせるばかりか、気づけばIT社会、気づけばAI時代と刻々と変化してゆく社会へ奔走され続けた末に、シンギュラリティを向かえてしまいます。
ゆでガエルの例えにあるように、じわりじわりと忍びよる危機を危機として認識できない愚鈍が招く悲劇はやはり自然の流れなのでしょうか?
このまま人間は尊厳の危機を解決出来ないのでしょうか?
しかし危機的状況の裏には必ずチャンスがあり
Noh先生は日本こそが世界を救済できる唯一の英雄集団であり、危機をチャンスに大反転が出来ると令和哲学を通して語ります。
カント、ニーチェ、ヘーゲル、ドゥルーズなど西洋哲学は、源泉的動き1を規定できず、この現実の成り立ちや、何故生まれたかは明確にはしていない。
その結果、人間の尊厳の危機を解決する知恵が生まれません。
人類の尊厳の危機を前に彼等は完全な神の復帰を望んでいます。それも完全な理論と理性、精神を元に。
だから令和哲学が日本で誕生して、これら西洋哲学を整理と伝達ができ、そして誰でも理解できることがどれ程大事件なのか?
これは西洋が出来ない人類尊厳の危機を解決する、それだけでは無く世界を完全学問の令和哲学によってひとつにしてしまう意味を持っています。
では何故日本からなのか?
かのJesusは救済の為人類の罪を背負い、十字架に向かいました。
時は1000年以上経ち日本、明治維新。
Jesusの救済の魂は、客観精神に至り全体主義が完成した日本で人類救済の道へ向かったが、個人主義、共産主義の厚い壁に遮られ、戦争犯罪国家の汚名を着せられ、主張も考えも出来ない状態になった日本と十字架のJesus。
その日本がNoh先生という特異点と出会い、越えて行くことは歴史の大きな脈絡からみても余りにも美しくて、日本の魂が躍動して、涙が止まらない出会い。
特異点の集まりはやがて偶発点を誘導する。
特異点を得た侍は、手放した刀をもう一度次元上昇した刀として手に戻した時、心の時代という偶発点が本格的に始まる。
日本こそが世界を救済する唯一の英雄集団である。
Jesusの救済の魂が躍動する令和時代。
その感動ストーリーを歩める幸せを感じる令和哲学カフェでした。
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