「特異点」ディスカバリー部門 エントリー【第17回6月17日分】
令和哲学AWARD
「特異点」ディスカバリー部門
エントリー
6月17日の第17回令和哲学カフェは、いつにも増して心にショックと希望を感じました。
テーマは「尊厳」。あまり日常で使わない言葉ですが、これからの時代は、尊厳がわからないとダメ!!というくらいキーワードだとNoh先生がおっしゃっていました。
まず
尊厳死のお話があったんです。自力で呼吸できず、心臓を動かすことができず、人工呼吸器をつけて機械によって生命を維持せざるを得ない人たちがいる。
本人の意志を尊重して、延命処置をせずに最後を迎えられるようにするのが尊厳死だそうですが、自分の力では生きられないようになってしまっていることが、すでに尊厳を奪われている状態だと思いました。
そこで突然、先生が「皆さんは今自分が人工呼吸器をつけている状態と思いませんか?」と質問されたんです。
「え?私が?まさか」ととっさに思いましたが、
自分の肺がどんな仕組みで空気の出し入れをして、心臓がどんな仕組みで動いているのか、イメージがありますか?イメージがわからず無意識でやっていて、体が機械のように条件反射をしているだけだとしたら、それは人工呼吸器をつけている状態ではないですか?と言われてぐうの音も出ませんでした。ヤバイ‼と思いました。
脳のアルゴリズムの支配を受けて、条件反射をして機械のように動いているのが実は人間なんです。この体が自分だと思ったらもうアルゴリズムの中なんです。
二つの絵を重ねてみて「同じ大きさだ」と確認済みなのに、絵を並べてみると何度やっても人間の目は「大きさが違う」と見てしまう、という実験を通して、
本当に人間は脳のアルゴリズムから逃れられないと実感しました。
それはまさに人工呼吸器をつけている状態と変わらない、と思うとぞっとします。
本当の自分が何者かわからないまま何かのために頑張るようになっているこの世界。令和哲学カフェの中で繰り返し出てくる、ビンの中で羽化して出られなくなっている鳥が、脳の支配から出られなくなっている人間であり、自分なんだと思い知りました。
こんなに悲惨で屈辱的な状態にいるのを知らないで生きているなんて、
今の人間の生き方には尊厳のかけらもないじゃないか。
このままの生き方でいいの?人工呼吸器をつけたまま生きるの?
すごい問いを突き付けられている気がしました。
その後、「尊厳関係を構築するための絶対条件とは?」というテーマでWHTが行われて、「無から有が生まれる仕組みを知ること」と答えた方がいました。
驚いたことにこの方の論理を土台にしないと、他の方々が出した「絶対条件」が実は成り立たない事が理解できました。
無から有の仕組みを知るというのは
Noh先生が「ビンの中の鳥が自分だ」
と思い込みの主体として生きるのをやめて、ビンの外からビンと鳥を創造する本当の主体で生きる、と説明されることと同じだと思いました。つまり人工呼吸器を外した自分で生きるということです。
その生き方こそ、本当の尊厳ある生き方で、そこへ案内できると言い切っている令和哲学に希望をみた気がしました!
子どもの未来のためにもこれからも参加させていただきます!
AWARD
特異点ディスカバリー部門
見並 香織さん
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