【第110回10月30日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

Japan Story

ジャパン・ストーリーさん

今日の特異点

この日はハロウィンの前日で、WHT(Widing Heart Trainning;意識を拡張するコミュニケーションワーク)に参加された皆さんも、可愛い衣装を身に着けていらっしゃいました。スタートから楽しませてくれました。エンターテイナーですね。Noh先生も「私にも下さい!」なんて一緒に楽しんでいらっしゃいました。

さて、今回のテーマは、「歴史発展、社会発展の原動力は何か?」です。
「日本がアメリカを越えるためには?」という副題も添えられたために、グッと熱いものが込み上げてきて、思わずスイッチが入ります。
WHTに出演の5人の方からの主張とNoh先生のまとめの中に、私たちが進むべき、とても重要で興味深い整理がありました。
東洋では、修行して「仏」になることを求めた個人主義っぽい仏教と、それを否定して社会秩序のために「聖人」になることを求めた道教・儒教の主張がありました。一方西洋では、数学・物理を使って開発開拓された科学技術がありました。

これまで東洋は世界をリードできず、科学技術による西洋が世界をリードして来たものの、科学技術の終焉と言われるように、科学技術ではもう時代をリードできなくなっております。
そこで東洋のバージョンアップが必要になるわけですが、これについてとても面白い表現がされていました。
「仏教・儒教に、マルクスが足りなかった」、「仏教・儒教に、数学・物理を入るべきだ」と。
この表現にショックを受けました。

これまで仏教・儒教とマルクスを繋げたこともなかったし、全く別物のイメージがありました。また、仏教儒教と数学物理の関係も然りです。
仏教・儒教は、心の世界を伝えているけれども、生産力・生産手段に関して表現することがなかった。瓶鳥の外ばかりの説明をしていて、抽象的で、現実の世界にどう使ったらよいか分からないという限界があったと。

一方で、マルクスが表現した自然に働きかけて生産を行う労働についても、宇宙の根源・世界の根源と繋がって、労働をする、開発をしていくイメージをしていくことが重要だと表現されていました。
仏教儒教の限界、マルクスの限界を、この両方を融合することで、越えていくイメージを持つことができました。
東洋の限界と西洋の限界を、双方の根底から底上げさせて融合させていく、令和哲学の真骨頂のように感じました。

マルクスは、奴隷のように搾取される悲惨な労働者階級を救うために、「生産手段を所有する資本家階級と労働者階級が対立し、闘争によって革命が起こされる、主体は労働者にあるのだ」と主張しました。
マルクスの涙は、当時の労働者に論理とイメージを与え、勇気づけ、革命を起こし、現代に至るまで大きな影響力を与えています。

現代は、資本家階級と労働者階級との対立どころか、人工知能が登場し、人間がデータとして取り扱われ、ホモデウスと無用者階級という激しい格差によって、人間自体の尊厳が問われる危機が訪れています。
マルクスを、今ここで蘇らせるとしたら、「労働者」のイメージを次元上昇させる必要があるでしょう。労働とは、自然に働きかけて、生産を行う行為です。
それは労働が集団知性体として行われる、すなわち労働者が源泉的な動きに繋がって、天才になりながら結集し、集団的クリエイティビティーを発揮して、宇宙自然を開発・開拓し、爆発的価値生産を成し遂げる革命=英雄産業を生み出すイメージです。

最後に、仏教・儒教とマルクスを融合させ、人類の可能性を切り拓く”踏切板”としての令和哲学について、今回WHTに参加されていた方が、興味を持たれた理由を説明してくれていて、印象に残ったので、ご紹介して終わります。

『私たちは、物質的に豊かになったかもしれないけれども、地球も人間の精神も病んでしまって、このままでは滅亡してしまうのではないかと思っていた。もう時間が無いと思った。けれども、「悟りを人生のゴールにする仏教」に対して、「令和哲学は、悟りをスタートにする教育」なので、これならば危機を救えると興味を抱いて、ここに居ます。』

ありがとうございました。

令和哲学アワードの詳細はこちらより

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。