【第144回12月23日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
清水 歩さん
今日の特異点
ヤッサール先生からのお題で、“自分にとっての地獄とは?”という問いに対し、
ひろこさんは「自分は役に立たない」
こうたさんは「孤独」
ミキ先生は「男女関係の不満から理想を追う事」
テル君は「喋らない」
みっちゃんは「私が頑張らなきゃ」
という回答をしていました。
私がその時浮かんだ回答は「格差」と「孤独」でした。
その後、ヤッサール先生がテル君へ「何で喋れるようになったの?」と質問し
テル君は「自分が喋るのを諦めたのは、父との経験が原因で、本当の自分はそうじゃないと気付いたから。」と返答し、それでも最初は上手くいかなかったそうです。
何度も喋らない自分を観る事でリアルになっていくと言っていました。
その話が、ヤッサール先生の冒頭の哲学講義で、「ゲームの根源まで行くとゲームを終わらせる事が出来る」と話をしていたのと繋がって、テル君は根源に行くまで地獄を観てきたんだなと感じました。
その後、テル君がひろこさんに「役に立たない」と感じた具体的な経験について質問し、
ひろこさんは親の転勤で、「友達とずっと一緒にいたいと思っても従うしかない無力感」と「引っ越しした後、私はさみしいけど、前にいた学校のみんなは私がいなくてもみんなはそのまま楽しんでいる。」という経験から「自分は役に立たない」と思ってしまう観点が出来た事を話してくれました。
さらに、ひろこさんは目で見た瞬間「どうせ別れるでしょ。」を無意識で繰り返している。と言っていました。
そこに対し、テル君がひろこさんに「それを本当に地獄と感じている?」と質問し、
ひろこさんが「慣れているし楽だから好きでやっているかもしれない。地獄だとは思い切れていないかもしれない。」と答えていました。
このひろこさんの言葉が正に今の私と繋がりとても印象的でした。
私自身、仕事も家庭も現実をこなす事には何の問題も無く生きているのですが、
これが本当に自分が望む生き方では無く、そこに本当の自分はいないと感じています。
というのも、私の母は、いかに子供にレールをひいてあげるかを考えて、子供に幸せになって欲しいという願いを込めて、ずっとレールをひき続けて育ててくれからかなと感じました。
レ―ルの上で生きるのは凄く楽で、何も考えなくて生きても、それなりの人生を送れました。
しかし、レールで育てられた私は、40歳過ぎても、自分がどう生きていいのか分からず、何かをやり遂げた事も無く、ひろこさんのお話しと繋がって感じていました。
誰かに生かされている自分を変えたくて、自己啓発本読み漁ったり、様々な自己啓発セミナーを受けたりしました。
本を読んでいる時、セミナーを受講した後は、今の自分が変われる気がしたり、もっと理想の自分になれそうな気がしましたが、数日すると、やっぱり基の自分に戻って何の変化もなくつまらない人生に戻っていました。いくらお金を掛けても、全く変われることはありませんでした。
何をしたら良いか分からないし、本当の自分が何なのか分からないという感覚はずっとぬけませんでした。
こーたさんが、ひろ子さんの涙と日本の涙をつなげて、戦後日本が負けて植民地になり、どうしようもなくて強烈な諦めを持って生きるしか無かった。それが、今の日本人の無意識の根源の諦めや無力感を構築しているんだ。と話してくれて、
ひろこさんの無力感も、私の無力感も、こうたさんの孤独も全て日本の歴史の涙と繋がってるんだと感じました。
本当は、“心を燃やして生きる”生きた方がしたいと思って居るけど、なかなか出来ない。
だから、心を燃やす生き方を学びたくて令和哲学を学んでいるんだなと思いました。
こうたさんが本人が地獄と気が付かないと変わるのは難しい。こうたさんの本人から出るエネルギーにならない。
みっちゃんも自分を愛してあげなきゃ寂しさに包まれてエネルギーが湧かない。
とコメントしてくれて、
生きるエネルギーは自分が作るもので、自分に対する愛も大切なんだと気付かせて頂きました。
現代の若者達がやる気がでないという問題も、自分を愛しきれないからエネルギーが湧かないんじゃないかなと思いました。
日本を元気にする為にも、若者を元気にする為にも、この令和哲学はすごく重要な学びだなと感じました。
WHTのみなさんの仲間の人生に貢献したいという思いや言葉が本当に愛情深くて、数日一緒に議論をしているだけなのに、こんなにも深い関係性を築いている事が本当に凄いなと思います。
私も深い関係性を創って生きていきたいと改めて実感しました。
令和哲学アワードの詳細はこちらより
この記事へのコメントはありません。