【第33回7月13日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

見並 香織さん

今日の特異点

7月13日の令和哲学カフェは、「言語の美しさ」の三回目。

最初に、今まで全ての学問の統合が起きなかったから、人類を幸せや尊厳へ導けなかった、というお話がありました。
そして今、令和哲学は「学問の完成」を宣言しています、だから世界機軸教育といえる、と。
その言葉の重みがカフェが進むにつれてじわじわ深まりました。

言語は、もともと固定されたものではなくて、話す人のその時のポジションや観点で意味も概念も今ここ!生まれるものなので、きく方がそれを共有できていないと疎通が難しい、という事でした。

しかも、きく方もどんなポジションで、観点で、それを受け取るかでまた変わってしまうということなので、お互いがこんな状態でコミュニケーションをとればとるほど疎通よりも誤解を生んでしまう、というのはものすごく納得しました。
このことがあって、人間は結集(団結)することが難しいから、生産性が低いのだ、という宿命的課題を抱えていることも納得でした。

言語が何なのかが、ハッキリわからないまま、私たちはそれを道具にしていて、しかもその道具を使っても使ってもわかり合えることがないどころか、誤解して争いの種をつくるという、なんとも悲しい現実だなあ、と思いました。
また、カント哲学で学んだ、認識主体が認識形式と出会って、その結果物として、人間の体も含めた世界全部が認識対象だ、ということをビンと鳥の絵で整理して復習しました。

ビンの外が本当の主体であることが明確にわかることで、ビンの中の世界を規定することができるということでした。

それは人類歴史史上、初めて言語が、感覚が、観点がどのように生まれるのかが整理できるという意味なのだ!とドッキリしました。

だって、今までの学問や哲学は、カントのようにビンの外の、「イメージできない世界」のことをうすうす気づいたりもしたけれど、ビンから出てそれをあらわにして、ビンの中を整理する、なんてことはできなかったのですから。
今までの哲学は、「ビンの外は研究の対象じゃないね」ってあきらめてしまったのですから。

令和哲学がそこをやってのけたのは、もの凄いことだ!とじわじわじわじわ感動が深まっていきました。

令和哲学、すご~~~~~~~~~~~~い!!!

これで、人類は誕生以来初めて、言語を用いても本当の疎通が可能に、本当の結集が可能に、本当の生産が可能になるんですよね!!

令和哲学カフェの、テーマの順番もちゃんと考えられていたのだと思ってうなりました。
カント哲学を通過していたからこそ、その後の尊厳も考えも感情も言語も理解しやすい。
毎日参加しているうちに自分が賢くなっていった気がしていましたが、この綿密なプログラムの順番のおかげでもあったのですね(笑)。

そして、日本好きの私は、このもの凄い、日常で使える哲学が、日本の元号に哲学をつけて「令和哲学」なんて名付けてもらったことがこれまたものすごい感激なのでした。
Noh先生の、日本の可能性に対する最高のプレゼントだと思いました。

日本から令和哲学を世界に紹介して世界中の摩擦衝突をなくしたいです。

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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