【第51回8月6日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
安藤 晃子さん
今日の特異点
8月6日の令和哲学カフェの出発の質問
『どこまでわかることで本当に正しくわかったと言えるのか?』
いつもワクワクする質問の投げかけから始まるWHT。
今回はカントの観た世界とニーチェの観た世界の違いが明確化しました。
そのきっかけとなったのは出演者5人の回答の組み合わせが、なんとニーチェとカントの論争になっていたのです。
5人の回答は以下です。
・存在が生まれる背景
・用途・機能・目的
・共有共感が生まれる
・わからないことがわかる
・出発の意志(始まりにないものは終わりにもない)
どれがカントの回答で、どれがニーチェの回答かわかりますか?
「出発の意志=わからないことからスタートすること」であるとVision同盟が組まれたところに対し、
「どこまで」わかることで正しくわかったと言えるのか、という問いにあるように「ここまで」というゴールがないという反駁論理を打ち立てました。
実は、この論争が起きることがニーチェとカントだったのです。
出発の意志が何もわからないこと、だから終わりにも何もわからない(始まりにないものは終わりにもない)。
始めにわからないことが出発の意志(α)でありωである(出発点の中にゴールがある)。
無知の完全性、わかっている世界から自由になることなのです。
わかっている世界は全て条件付けです。
日本では通用するけど、世界にでたら役に立たないこともあります。
今の時代ならOKだけど、20年後にはバカにされる論理もあり得る。
知っている世界は、観点の結果物なので、負けるようになっているのです。
知っている世界から自由になったところからみたら、知っている世界につかまるのではなく、楽しむことができるのです。
それがGame感覚、遊び感覚、祭り感覚なのです。
カント哲学は、概念をしっかり論理展開して、その形で道徳をつくる倫理道徳。
みんなが共有共感して、秩序をつくる秩序の哲学。
ニーチェ哲学は、今までの概念を全部解体させて、その野生、Ubermenshになれ、と英雄道徳を語る。
無意味の意味、無価値の価値、全部壊す。無秩序の哲学です。
ニーチェの有名なフレーズ「神は死んだ」というのは、宗教的な神の意味だけではなく、一番大事に思ってるイメージ全てを破壊することを指します。
全ての意味付け、価値付けしていることを全部潰してしまうのです。
記憶1つさせるために残酷な拷問をしながら暗記させる、その記憶1個1個さえも潰してしまうというのです。
今まで出ることができなかった扉の鍵をみつけ、扉を開けた時に外の世界を吸い込んだレベルのカント。
実際に外に出てその世界に立ったレベルのニーチェでは、明確な違いが生まれます。
より人間を自由に美しい存在して導くことができるのか、絶対尊厳そのものとして生きるように導けるのか一目瞭然です。
それらの哲学者が語った世界を明確に理解できるようになった背景には、令和哲学があります。
令和哲学では、「無知の完全性」と言っています。
その意味価値、自由度の高さがどのくらい大きな器になりうるのかというが質疑応答でも明らかになりました。
自分と自分の宇宙が実在しないということが明確にわかった上で、
源泉的動きだけがある世界からどのように錯覚の世界が成り立っているのかという仕組みを
数学・物理学とも矛盾なく整理ができるのが令和哲学です。
「知っている世界から自由」のベースの上で、数学・物理学の仕組みをわかり、
さらにそれがスクリーンの内、脳の観点の世界であるということがわかっているので、
どんな立場の人の主義主張でもその観点で話しているということが理解できるのです。
大きい器は小さい世界を受け入れることができます。
相手が理解できるので、仲良くすることもできますし、質問を投げることができます。
令和哲学は自由自在なのです。
知ってる世界から自由になるだけではなく、ニーチェが超えられなかった「虚無主義」を超えることができるのも令和哲学です。
何も意味がないのではありません。
消極的な虚無主義もあるし、能動的な虚無主義もあるし、積極的虚無主義もあります。
令和哲学では、虚無主義じゃなくて、『すごすぎる』と言っているのです。
脳がイメージできないだけで、『すごすぎる』のだ、と。
一番大きく、一番深く、どこまでも広く、すべてを説明可能にする令和哲学。
今の時代に持つべき一番の智恵であり、愛であると思っています。
日本で誕生したこの令和哲学をまずは、多くの日本のみなさんと共有していきたいと思っています。
令和哲学アワードの詳細はこちらより
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