【第79回9月15日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
しげみ さん
今日の特異点
『今ここ目で見ちゃダメ!』
この言葉に込められた意味はどこまで奥深いんだろうか。
そんなことを感じた令和哲学カフェ。
哲学は何かを追求する一部の人が勉強するもので小難しいもの。
私の人生には直接的には関係のないものと思っていましたが、令和哲学を通して西洋哲学に出会ってみると、その当時の哲学者の背景や、追求してきたもの、哲学者から哲学者へどんな形で引き継がれ今に至っているのか。
人々にどんな影響を与えているのか。そしてどんな限界があり、どうやってそれを超えていくのか。今ここの私たちの生き方とどうつながるのか…等々、すごく面白くなってしまい今では毎晩令和哲学カフェに釘付けです。
「カントと令和哲学」3日目。
今日は、今までに何度も聞いている『今ここ目で見ちゃダメ!』この言葉の奥深さを感じました。
カントの定言命法に対して、令和哲学では『今ここ目で見ちゃダメ!』をメッセージします。私たちは目の前に広がる世界を目で見ています。それはあまりにも当たり前なこと。
令和哲学ではその当たり前にNoをします。
それが『今ここ目で見ちゃダメ!』です。
カントの定言命法は、意志行動の準則について述べていますが、令和哲学では行動の準則ではなく、その前段階である観察準則について述べています。
いくら素晴らしい計画をしても、それを執行しなければ意味がありません。
カントは執行をする際の意志行動の準則について、宗教の教理や国の法律ではなく、あなたがあなたのルールをつくって普遍的な立法のようにしなさいと言っています。
それに対して令和哲学では、執行は今ここの行為であるが、今ここまず何をするのか?と問いを投げます。執行の前には観察が行われます。その観察行為に対して「今ここあなたの観察準則が、最大多数最高幸福の原理であること。今ここ75億の幸せの責任があなたの観察にある。」というのです。
あなたの観察準則が75億の幸せに関係している!?どういうこと!?
そんな疑問が生まれます。
目で見たら相対比較や我慢、決められたルールの束縛からどうしても自由になることができません。この観方を持った状態でどうやったら75億の幸せの責任が取れるでしょうか?
どう頑張っても無理。。。だから、『目で見ちゃダメ!』
目で見るのではなく、1から観ることだよ!とNoh先生はメッセージします。
このシンプルすぎるメッセージに、どれだけの意志、涙、愛、希望が込められているのか。どれだけ奥深いんだろうか、そんなことを感じると胸が熱くなります。
カント哲学では何を述べ、どんな限界があり、その限界をどう補い超えていくのか。
どこからどこまでの何を言っているのかに対して、明確な規定ができるから、限界がわかるし、補うことも超えていくこともできる。同じ目線でみていたのでは見えない世界。
ハッキリと言ってしまえば超えているから観えるし、規定できる世界がある。
それが令和哲学の凄さだと思っています。
今日も感動・わくわくの時間でした!
『今ここ目で見ちゃダメ!』
自分の知っている世界から自由になること。そこから私もあなたも、動物も植物も、自然も宇宙も、歴史も文明もすべてつながった目的的存在として再創造ができる世界が広がります。
令和哲学アワードの詳細はこちらより
この記事へのコメントはありません。