【第176回2月15日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

Taichiro Yamada

山田 太一郎さん

今日の特異点

今回のテーマ「私達はわかりあうことができるのか? 争いを終わらせることができるのか?」
で始まりました令和哲学カフェ。
新原千春さんファシリテートのもと、自身の経験を通して、
一体何が問題をつくりだしているのか?そして人類が問題の根本に気づけなかった盲点とは何か?
そのことを本質的な観点からアプローチしていきました。

 

人類歴史は争いの歴史である。
それは周知の事実であり、世界中の誰もがそれを認識している。
国家間の軍事衝突だけではなく、身近にでは意見の違いによる論争、貧困による強盗、略奪、
人種の違いによる差別、価値観の相違による不調和。
私達は争いの海の中で生きている魚と同じで、予期もしない争いにいつ巻き込まれるか分からないし、
条件が揃えば自らも争いを加害する立場になってしまう、
そんな危うく緊張のある世界に生きていいる。といえます。

 

それが新原さんの経験して来たことからも見て取れ、国際援助チームで国家間を越えて集まった人々ですら
その生まれて形成した自分を手放せず、他国の理解に努めることはできない。
また新原さんも相手を深く理解できずに苦しんだ経験を話されました。

 

この現実で生きることは決して幸せなことではなく、実は何をしても全て絶望につながってしまう。
その絶望の本質から目を背ける為に、物質的な豊かさが幸せと思うライフスタイルが世界のスタンダードになっています。
体の外側を開発と開拓して体の自分を満足させる生き方です。
ですがその反動として環境破壊、貧富の格差など解決されない問題を生み続け、巡り巡って個人に帰着します。

 

科学技術の発展や資本主義、自由主義が全人類を幸せに導いてくれると希望し実践したけれど、
これは結果的に間違いであり、
偽りの幸せだったという他にありません。

 

なぜ偽りの幸せなのか?

 

それは「正しい絶望」を人間は見つけることができなかったからです。
人生を歩む中で必ず心が塞がれることが多々ありますが、
しかしそれ自体を絶望と呼ぶのであれば、その絶望は本当の絶望ではない。
5感覚と脳で処理した結果を見ているのが現実ですが、その脳機能自体が不完全であり
そこからつくられる判断基準もまた不完全であることに気づき絶望をするのが「正しい絶望」です。

 

生まれて人生が終えるまで休むことなく続けている脳の認識と判断基準が不完全であることがどれだけの絶望であるのでしょうか?
そしてそこに固定さて続けるのがどれだけの地獄でしょうか?

 

これに気づくことなく「私が幸せになろう」「問題ある社会を解決しよう」「チームワークを円滑にしょう」「人種を越えよう」
と様々に努力をして前進しても、結果絶望を経験します。
だから人間は本来解決しなければならない問題に着目せず、即物的な偽りの幸せを追い求めているのではないでしょうか。
それは現実が絶対に存在していると思い込んでいるのに他にありません。

 

自分が本当に幸せでないのに、どうして他人を幸せにできましょう?わかり合うことができましょう?
この脳の観点に固定されたままでは無意識に絶望を蓄積して、内面は争いの真っただ中にいます。
内戦状態とも云え、内戦が終わらないうちは外側の争いも終わることはないでしょう。
この正しい絶望をしなかったのが人類の歴史であり、未だにわかりあえず、争い続けてる理由です。

 


ですが、この状態でも人類史が途絶えてはいません。私たちは今、生きています。
人間とはそれだけ可能性をもっており、この偽りの幸せを求めた物質文明から
正しい絶望を受け入れて、正しい希望の先、精神文明に羽ばたくタイミングに今、私達はいます。
これは問題の根本原因と向き合うことを意味しています。
未知なるもには不安がつきものですが、自分自身の悩み、限界と正しい絶望がつながった時に
初めて呼吸ができる。
それは新原さん自身が体験して言葉にもありましたが体が生まれた時と同じ様に、
心が誕生した時の呼吸なのだと思います。
そして大声で叫べましょう「生まれて来て良かった、ありがとう」と。

 

人間で生まれて来た歓喜と尊厳をいつも持ち続ける人々が増えるのであれば
きっと社会は変わるだろうし、
700万年続いた歴史が変わり全く新しい人類史になって行く。
人類全体が「正しい絶望」を受け入れ突破する、
そんなグレートタイミングに私たちは居合わせているのだと感じた令和哲学カフェでした。

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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