【第135回12月9日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
秋葉のりさん
今日の特異点
ディスカッションテーマ:「なぜ令和哲学者Noh Jesuは瓶と鳥の外を語るのか?」
まずは初めに。
いずみさんの自己紹介、いやぁーすっごくよかったです!!
昨日より今日、今日より明日の、自分の進化や場の進化が大事であって、
もし評価というものが存在するとするならば、相対評価ではなく絶対評価しかない!その言い切り。非常に頼もしかったです!
自分の現在地を明確に整理し、その現在地と今ここの比較しかあり得ない。
絶対評価をするにも”才能”がいると私は思っています。
なぜならば、自分を客観的に観ることができない限り絶対評価はできないから。
瓶の中にいたまま評価しようとしても、瓶の中にいる存在たちとの相対比較しか生まれず、客観的に自分自身の絶対評価はできない。
それをまず自己紹介の中で話せてしまういずみさんは、ココロが強い真っ直ぐで素敵な人だな、と更に好きになりました。
あと、ディスカッションの方で感じたことは、
”自由にディスカッションができない日本人”
”自由にと言われて不自由になる日本人の姿”が顕著に出た回の印象を持ちました。
ここで間違えて欲しくないのは、出演されてた方々がどうのということを言いたい訳ではないことです。
(ここを間違えられて取られると、ただのつまらない文章になってしまうので、初めにお伝えしておきます)
ファシリテーターが最初に「今日はフリーディスカッションで」と場の規定をし、
中盤では会話が回っているようにも見えましたが、結局、ファシリテーターのまことさんが入らないと自分たちで会話が回せない様子。
会話の糸口を見つけられず、ゼロから1を生み出す苦悩を感じました。
日本人独特の待ちの姿勢にも見えたので、参加者の全員が率先して場に溶けていくと言うよりは、緊張からか自我をそれぞれが持ったまま臨んでいる感じに受け取れました。
難しいですね。臨機応変に自分の立ち位置や求められている役割を瞬時に察して、IDを移動させると言うことは。
遠慮の文化、相手にどう思われるのか、相手を傷つけてしまったらどうしよう、他の人がもしかしたら話したいのではないか、など瞬時に考えが巡ったのもあるのかもしれません。
日本人はとにかく真面目なので、ファシリテーションの意向に合わせたい(ずれたことを話したくない)と思っちゃうから、頑張ってファシリテーションの意図、場の意図を汲もうと互いに余計見合ってしまう。
日本自体がそもそも相手に合わせる文化がベースなので、既存の教育体系も主義主張のトレーニングが組み込まれたものでもない(反対に、主義主張すると叩かれる、仲間はずれにされるなどの弊害もある)から、基本、ディスカッション慣れしていないですよね。
なので、この令和哲学カフェのWHTは、日本人にとってすごくトレーニングができる貴重な場だなぁと思っています。
ということで、
ディスカッションの内容よりも、会話の一方通行の応酬というか、弾まないのが気になって全体の雰囲気が気になった回でしたー
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