【感想】宇野邦一さんのトークイベントへ行ってきました!


コロナの影響もあり、2020年は開催がなかった宇野邦一さんのイベントですが、10月31日にzoomでトークイベントがあったので参加してきました。

今回の哲学者

宇野 邦一(うの くにいち)
宇野邦一さんは、サミュエルベケット(アイルランド出身のフランスの劇作家・小説家)やアントナン・アルトー(フランスの俳優・詩人)などの翻訳から、ドゥルーズ=ガタリの翻訳者として、仏文界隈で知らない人はいません。常に文学、哲学、芸術を行き来しながら、必ずしも仏語にこだわらず、言語の外にさえ指向性を定めるようなベクトルを同時にもつ思想家の方です。

トークイベントの感想

私は、令和哲学以外の哲学カフェに参加したのが初めてですが、令和哲学で鍛えた思考力、論理力、解析力が助けになり、参加者の方が話している会話が難しいというより、理解できるようになっていたのが自分自身の大きな変化を感じました。他のカフェにも参加してみると、より令和哲学の理解が深まりますね。

今回のトークイベントのテーマは、「器官なき身体と芸術」でした。

宇野さんの翻訳されたサミュエルベケットの「記憶と習慣は時間の癌だ」という表現から時間と記憶は密接な関係にあること。そしてある舞踏家の方の話をしながら、時間は運動であり、運動の錯覚をつくりだすのが動画であり、映画だとも話されていました。

また、ドゥルーズの「器官なき身体」というのは、アントナン・アルトーが「アンチオイディプス」の中で言った言葉。この言葉が中心概念として採用され本として出版されました。その言葉がこれです。「人は病んでいる。できそこないだからだ。奴を一度裸にして奴をむしばむこの微生物をこそぎおとせ。そして神よ、役立たずの器官というものをなくしてほしい。そうすれば人は自由になれる。そしてダンスホールで踊りまくるように踊りをもう一度教えてほしい。そこが彼の場所だ。」

この言葉を言ったアルトーは、「バーチャル・リアリティ」という造語を作った人でもあり、この身体が絶対にあるものではなく、令和哲学でいう瓶鳥の外が本当の自分だと感覚的に分かっていたように思います。

宇野邦一さんは、芸術と哲学はとても隣接していて、本質的。芸術は一般的にお金にならない、役に立たないと思われているけど、なくなることはないと芸術の持つ本質について語っていました。

会の後半では、コロナウィルスのことやベーシックインカムについて話されていました。令和哲学創始者ノジェス氏とポストコロナ時代について、ぜひ対談してほしいと思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事のライター

泊 由美子
(Tomari Yumiko)

高校卒業後、国際交流を通して境界線ないつながりをつくるために哲学の必要性を感じ、令和哲学を学び始める。
日常と乖離しやすい哲学という分野を令和哲学を通して、日常で使える哲学を伝達中。

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