【第103回10月21日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

  

yoshiko nishioさん

今日の特異点

 

第103回目を迎える令和哲学カフェ。
今回からはフッサールと令和哲学のシリーズが始まりました。

絶対的真理と、この世界がどうやって成り立つのかの相対的真理を、デジタルの動きとアナログの動きでその関係性を語るのが令和哲学。

その令和哲学の器に、西洋哲学がぜーんぶきれいに乗っかって整理されていくのは実にお見事だし、エレガントで美しいです。

アナログの動き、デジタルの動き、源泉的動きの説明が一段とわかりやすくなってもいました!

例えば今回説明にもあった、デカルトの“我思う故に我あり”
この二元論が、令和哲学のイメージ言語、一元論でみたら、シンプルにイメージできてしまう。

このように、令和哲学は物凄く繊細な心のモノサシで測るので、今までのすべての概念が吸収されていきます。

結論、無意味の意味、無価値の価値、原因の外がポイント。

人生は完全認識獲得のための道具だと令和哲学は言い切ります。

完全認識を獲得するために、人間はこの瞬間も死んで生まれてを繰り返しています。行ったり来たり行ったり来たり。

人生に意味はない。
そう言う令和哲学は何とも潔いし、勇気ありますよね。

無真理の真理、無意味の意味、無目的の目的、無価値の価値。
今は無の時代。

原因の外。脳をはるかに超えて絶対的真理をわかった状態で、相対的真理、スクリーンの中に入って、意味のない人生にいかに意味を付けて、プライド誇りをもって、自分の人生・ゲームを貫いて、自分の事件を起こしていくのか、ライフスタイルをどのようにアート化していくのか、それが天命。

そんなすごい世界を共通のイメージ言語を通じて共有されていくこと自体が歴史上なかったことです。

今までどんな聖人、どんな哲学者もできなかった
1の規定ができたことで、心時代は究極のシンプルなそんな時代になっていく。

令和哲学が、すべてを包み込む日本の心その中心になり、

教育が変わっていく
人が変わっていく
人間関係が変わっていく

AI化が進んで、益々人間で生きる意味価値を喪失するこの時代に、脳から自由解放された、凄すぎる絶対世界1の本物の自分との出会いによって、今まで私たち人類が経験したことのない面白い時代が始まっていく。

今回のNoh先生の整理を聴いて、
人間一人ひとりみんなが、初めて大自由になって、哲学的生き方が出来て、自分の人生を始められる、それをさせるのが令和哲学だと思いました。

カオス時代の新しい人間の生き方、モデルとなる生き方を、ここ日本がモデルとなって、最高の意味付け価値づけをしていく令和プレーヤーとして、わくわくのチームプレーを共に創造していきましょう!

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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