【第81回9月17日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
Tami さん
今日の特異点
今回は「カント哲学と令和哲学とは何か」のまとめの話がNoh先生よりありました。
話の冒頭で「大学では6ヶ月かかるカント哲学の講義を30分間で整理して話します。」と話があり、カント哲学は理解することがすごく難しいといわれている内容だけに、一体どんな話になるのかワクワクしながら聞きました。
内容は、もっと話を聞いてみたいと思わせるぐらい、あっという間の30分でした。
Noh Jesuオンラインサロンで、今後もっと詳しく話されるとおっしゃっていたので、そちらで聞けるのが楽しみです。
カント哲学を理解する上で、古代・中世・近代の名前を聞いたことがある、名だたる各哲学者のポイントと哲学の歴史をサラッと簡単に分かりやすく整理されていたのが、すごいと感じました。
そして、今回の令和哲学カフェで、私が特に感動したポイントは、質疑応答の時に参加者の方がされた質問で、
「令和哲学は瓶鳥の外と中の世界をイコールにできて、カントは瓶鳥の外まで見えたのに、外と中を融合することがなぜできなかったのか」
「カントは「1」をなぜ明確に規定できなかったのか?Noh先生は、なぜ「1」を明確に規定でたのか」
という2つの質問に対する、Noh先生のそれぞれの回答で令和哲学の意味と価値がものすごく深まりました。
なぜなら、カントや今までの哲学者が、「無知の完全性」の世界でもある「1」を明確に規定できなかったのは、人間が無意識深く手放せない最後の砦である、今まで自分が頑張ってきた基準点をZero化できるか、出来ないかという事の影響が大きいと話されていました。
その背景に、Noh先生は「1」の規定ができたきっかけになる前の状況が、現実で失うものが何もないぐらい人生のどん底で、人間的に見たら最悪な状態ですが、それぐらい全てを手放すことが出来る境地になっていたことだそうです。それを聞いて、Noh先生だけでなく、日本や今の時代にとって、そのことはすごい祝福だったんだと思いました。
そして、本当に人間の無意識深く当たり前になっている大前提の「人間と人間の宇宙は実在しない」と、はっきり言いきれるかどうかで、「1」の規定が可能になるかどうかで大きな違いになるんだと思いました。
その話を通して「自分と自分の宇宙」をALL Zero化するには、勇気が必要という意味がすごく深まりました。
それぐらい「自分と自分の宇宙を消すことが出来る尊厳感覚」は、「1」の世界が何かを明確に知らない状態でその境地にいくことは、ものすごい決断と勇気と努力が必要ですが、今は、令和哲学という道具が誕生したお陰で、たった3日間で誰もがその境地に行くことが出来るし、論理とイメージで理解して選択できるので、安心して選択できると思ったときに、その価値の凄さを改めて感じた時間でした。
だからこそ、知っているレベルの「1」でとどまるのではなく、実践でもっと活用していきたいと思いました。
そして、この日本や今の時代を生きる1人の人として、日本に降りてきたこの祝福である「令和哲学」と出会う人がもっと増えて、みなさんと新しい時代を日本からつくっていくために、1000人侍の結集をまずはつくっていきたいと思いました。
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