第79回 9/15 カントと令和哲学(3) 開催レポート
カントと令和哲学(3)
2020年9月15日(水)21:00~22:30
開催レポート
令和哲学カフェ「カントと令和哲学」の3日目となりました。
今回のWHTでは「究極的人間の目的的存在とは何か」についてディスカッションを行いました。カントは「目的の王国」という概念を残しています。それは相手を手段的存在としてみるのか、目的的存在でみるのかということです。相手の役に立ちたいという考え方は手段的存在としてみることであり、お互いがwinwinの関係性を目指すことは目的的存在としてみることと言えます。全てを目的的存在と思ったら無駄なことは一つもありません。この体だけが自分と思うことは、相手を目的的存在と見れなくしてしまいます。
また、カントは「定言命法」を人間の究極のゴールとしていますが、令和哲学では、今ここあなたの観察の準則が、最大多数、最高の幸せの原理原則となることだとNohさんは解析しています。それが、「目でみちゃダメ」ということなのです。
WHTでは、このテーマについて主義主張を論じた後、互いの観点を融合させていくパートに入りました。今回は時間の関係上、論破することなく終わりましたので、参加者からは「論破したかった」という感想もあり、ディスカッションが苦手な日本人の中であっても、令和哲学カフェの場を通してディスカッションの価値が浸透していることも実感できました。
<質問コーナー>※一部抜粋
Q:私がない状態になれば幸せと倫理道徳が一致するという話があったが、その後の、「あなたが幸せにならないと、みんなが幸せにならない」という2つが繋がらない
A:あなたが今ここ 1番幸せにならないと。それは瓶鳥の中も外も自由に往来できて、すべての因果目的も生み出している、1つそのものになること。その無我の境地になった時に、自分が消え、相手が自分になる。だから関係が愛になる。愛になるから調和もできる。
次回は9月16日(水)21時からです。どうぞお楽しみに!
参加者の感想
あなたが最高の幸せにならないと、あなたの回りは幸せにならない。と言うノさんの言が、その通りだなぁと深く伝わってきました。今ここ、目でみるレベルでは、楽しめない、愛せない。全てがエラーだから。自分が創ってる宇宙。自分が創ったルールだから束縛されない。たしかに!でした。(りょうちゃんさん)
道徳=我慢、としか思っていなかったので、道徳と幸福が一致する、というのは目から鱗でした。そんな世界は素晴らしい、というイメージが来ました。(さとちゃんさん)
動画コンテストの今後の流れがわかってよかった。めちゃ楽しみ。幸福と徳が一致するというのはすごいと思った。これまでは我慢して自己犠牲して徳を得るか、自分を優先して幸せを得るかの生き方しかなかったと思う。1だけがある以上で生きればそれが自然とできるのかなの思った。(けんやさん)
「究極の目的的存在とは何か」考えたこともないテーマでした。自分とは何か、自分の存在とは何かを考えたことはあるけれど、いつも答えが出ませんでした。今日、目的的存在で考えたとき、答えを自ら持つことができました。大きな気づきでした。ありがとうございました。(しまさん)
たくさんのご感想をお寄せ頂き
ありがとうございました。
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またのご参加をお待ちしております。
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