第96回 10/9 ドゥルーズと令和哲学(5) 開催レポート


第96回令和哲学カフェ
ドゥルーズと令和哲学(5)

2020年10月9日(木)21:00~22:30

開催レポート

今回は「ドゥルーズと令和哲学」の最終日、まとめと質問道場です。
ドゥルーズと哲学、令和哲学を理解するためには、哲学の出発を理解する必要があります。
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、フィヒテ、シェリング、カント、ニーチェという様々な哲学者を引き合いに出しながら、ドゥルーズの違いの哲学について纏めました。

<質問コーナー>※一部抜粋

Q理解の特異点を話されていますが、理解のイメージを教えてください。
Aこの現実はどうやってできているのか、どこにいくのか。
まず観察から人間は始まります。
観察して、認識して、判断して、理解して、解析する。
心は解析主体だから、常に存在の原因は何か、存在の目的は何かについて
全部整理整頓が起きることです。

たとえば、富士山に行くよって言ったとき、目的が富士山の頂点に立つことであったら、
歩くときには富士山の頂点が既にあることです。
始まりにないものは終わりにもない。すべての脈絡、成り立ちが理解できることです。

Q脳で完璧に理解することと、行動で理解することどちらが重要ですか?
A脳でわかることには限界があるし、行動することでわかることが重要です。

次回の令和哲学カフェは、10月12日フロイトと令和哲学についてです。
お楽しみに!

参加者の感想

今日のまとめでドゥルーズの違いの哲学がやっとわかり始めてきた感じです。哲学の歴史を一気に駆け抜けた感じで、瓶鳥の絵があることでそれができるのかと思うと、凄いイメージ図だなと思います。 最後のWHTの出演者のコメントに心が熱くなりました。心の進化、次元上昇がすごいですね。(けるんさん)

今回は令和哲学と出会い、学びだした時の原点を思い出させる感じが私の中でありました。 何故、何の為に学ぶのか。これを知った先にどんな未来を描けるのか? 新しい概念の獲得は、それまでの自分を否定し新しい自分をつくる未知との出会いでもあり、根底が揺さぶられ崩れても突破する勇気が必要です。 そして、新しい概念が定着して安定するまで粘らなければならないが、一人では到底無理で仲間と共に歩み、お互い助け合いながらこの令和哲学カフェまで辿り着きました。 ですが、少々頭でっかちになり分かっているつもりの観点に固定されて、多様な見方を疎かにして自他共に可能性を潰してしまっていたと思います。 だから今ここでゼロに戻ること、知っている世界から自由になりいつもフラットから自分の宇宙を統制したい。 そして実践を通して学ぶこと、習慣化を決断して立法に忠実になること。 永劫回帰の+と−を自由に使えるようになりたいと思いました。 (mapleさん)

ありがとうございました!!!!!  私の人生でこの会に出られたことが物凄い宝になりましたし、これからもさらにそれを実感するんだと思います。最高のメンバーで、スタッフさんも素晴らしく、もちろんNoh先生も最高でした!!!令和哲学のおかげでドゥルーズと出会えました。そして、人と関係を築くには深い思考が重要だってことに気づけました。視聴者の皆さんも応援ありがとうございました!(Natsukiさん)     

カントを二元論で解析するのか、一元論で解析するのかという説明と、ニーチェの永劫回帰の同一性を、ドゥルーズは違いの哲学からすると否定せざるを得なかったという内容がとても興味深かったです。 違いと同一性の課題を同時にクリアすることは、とても難しいです。現実画面の中でも、身近な例をあげれば、5感覚的な障害の有無を補う設備ひとつでも難しい。点字ブロックが視覚を補うには必要だけれど、車椅子には段差になってしまったり。 さらに観点は、1人として同じ環境生き方はあり得ないから、もちろん異なる。でも脳をもつ以上誰もが持つ。その人間同士が融合し合うには、違いと同一性どちらも「=(イコール)」にする令和哲学の必要性を感じました。(Aiさん)


たくさんのご感想をお寄せ頂き
ありがとうございました。

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令和哲学カフェコミュニティサイトをご覧ください。

またのご参加をお待ちしております。

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