ライティング部門エントリー【第18回6月18日分】
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令和哲学者であるNoh先生のカント哲学・観点の整理から始まりました。
認識対象の開発から認識主体の開発が必要であり、人間は体の外側を認識対象、体を認識主体にしていたところから、それらすべてを認識対象にすることが西洋哲学をシンプルに理解する上で重要であるというお話がありました。
認識対象は、認識主体と認識形式が出会った結果であり、それを人間に例えるなら、認識対象は思い込みの主体、認識形式は事件の主体、認識主体は解析の主体。
それをパソコンに例えるなら、 認識対象が画面、認識形式がアルゴリズム、認識主体が電気。
これらの関係性のイメージがかなり整理されてきたことで、
本当の認識主体が、認識形式も作って、認識対象も作って、すべての状況から場面から登場人物までを作って、
その壮大な映画の中にはまり込んでいるのが、この世界の全体像なのかなというイメージが湧いてきました。
そこから、
「尊厳は実在するのか、要請された概念なのか?」という質問が投げられました。
その質問を聞いた時、これまでそんなことを考えたことも、聞いたこともない質問だったので、すごく考えるのがワクワクしました!
その質問に対して、YouTubeのコメント欄でコメントしていると、コメント欄がどんどんどんどん白熱 してきて、実在とは何なのか、尊厳とは何なのかの定義によって、全然意見が変わることを感じました。
全文:http://kumakurakeiko.com/2020/06/17/reiwaphilosophy-6/
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kenyaさん
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