「特異点」ディスカバリー部門 エントリー【第12回6月9日分】
令和哲学AWARD
「特異点」ディスカバリー部門
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「不安と憤怒」
令和哲学カフェ(6月9日第12回)の最後、Nohさんがこのキーワードで、まとめてくれたところがぼくの心に深く残りました。
確か2つのキーワードを以下のように説明していましたね。
・不安→しくみがわからない、事実がどういう状態なのかわからないと不安になる。
・憤怒(激しい怒りのこと)→だまされてきたことがわからない状態から、だまされていたとわかると憤怒が生まれる。
ぼくは、何で心に残ったのか探ってみたくなり、上記の説明を意識して、番組を一通り振り返ってみたんです。
そしたら、番組の各パートにそのエッセンスが散りばめられていたことに気付きました。
この回は、前回の「WHT」というコミュニケーションワークの解説と質疑応答だったのですが、
例えばWHTでは、
参加者の何人かに、自分の主義主張が途中で変わってしまうことが起こりました。
ぼくもそうですが日本人には多いケースです。
相手の意見の影響をうけて、自分の意見が変わってしまう。
これでは、本当に自分が何を軸として考え、主張する存在なのかがわからなくなり、不安になります。
だから、相手の話が聞けないんですね。
また、質疑応答の中では、
ある質問者から
「ビンの中の鳥の話で、鳥が私たち人間だとしたら、私たちはずっとだまされてきたということなのでしょうか?」
という質問に対し、
Nohさん「そうだよ」
と。
この質問でぼくは、ハッとさせられました。
プリンや机の絵で解説してくれた通り、脳には癖があり、事実をうけとれない。
もと情報がエラーだから、すべてエラーになってしまう。
まさか、自分が脳にだまされていたとは。
今まで人生で不安を蓄積してきたのは、脳にだまされていたからなんだ。
そこで、何でそれを教えてくれなかったの!
と今までの教育に対して憤怒がうまれる。
「人間こんなもんじゃないだろう!」
「それにいち早く気がついた日本が世界に教えていくとき。」
「教育で心時代をひらいていく、英雄集団になっていくのは日本だ。」
Nohさんの日本の可能性の話があらためて胸に響きました。
令和哲学カフェは、毎日参加していくと自分の中に哲学ができあがっていきます。
それは、不安がなくなっていくことでもあるんですね。
これを4年間続けたら、人はどれだけ成長しちゃうのか。
この番組の可能性を痛感した回でした。
AWARD
特異点ディスカバリー部門
小山 善仁さん
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