【第80回9月16日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

      Mayumi Kitazima

喜多島 真由美さん

JapaneedsLab代表

今日の特異点

9/16の令和哲学カフェ
ものすごい神回となりました。

何が凄かったのかというと、
一言でいうと西洋哲学の歴史の中でカントが登場する前と後で「真理の基準点」に大きな違いが生まれたことが明確に分かってしまったからです。

その違いがいかに大きな違いなのかというと
「地獄だと思ったことが実は天国だった」
という位の違い。まさに令和哲学で言う内外ひっくり返るくらいの違いを理解してしましました。
カントがいかに西洋哲学の世界にパラダイムシフトを起こしたのか。
その理解した世界を私なりに表現してみます。

回の流れの中では「緊張とはなんなのか?」
というテーマをもとに、カント哲学と繋ぎながらWHTが進められました。

カントが登場する以前の「真実」とは
鏡がモデルだった。
環境や自分が生まれる前からある「先輩」達で溢れ、
それが私の心に映っているんだ、という客観的な概念でした。

しかしカントはその観方を180℃ひっくり返して
「この世界は全ては自分の心が創り出すものだ!」と主観的であることを言い切り人間に能動性を回復させたのです。

カントは人間には認識形式(令和哲学では観点と言う)があり、自分の体も、考える意識の私も全て認識対象であり真実は「心の機能」だということを言っていた。
その全てを創り出す「心」だけが真実であり、真実の自分は「心」(認識主体)である、と言い切っていた。
受動的な人間の宇宙の観方を能動的な人間の宇宙へシフトさせたのです。
カントすごい!

この変革は、いつもなにかに影響を受けて、自分1人では何一つ思い通りにならない、できない傷だらけの人間の心にどれだけ希望をもたらすことができるのでしょうか。

またそれ以降の西洋哲学はそのカントの主張を深める哲学が次々に誕生していき、ドゥルーズが登場するとアルゴリズムの概念まで語られるようになり、いよいよ人間は1人1人が自分の宇宙を持っていて、自分の映画を持っていて、自分のゲームを持っている
それを創り出し楽しむことが誰でも可能な無限の可能性の塊だということを認識せざる負えないようになってきます。

私はこの一連のことを理解し、カントが人間の能動的で自由な生き方へ革命をもたらしたことがわかりました。
さらにその全てを網羅し、誰もが理解できるように「1」をはっきりと規定し、
その「1」を土台に真理を誰とでも伝達、共有可能にした令和哲学のすごさを改めて感じました。

世の中では、「鏡の法則」や「引き寄せの法則」などカント哲学以前の受動的な真理の基準点からの思考方式メソッドがもてはやされていましたが、そろそろ令和哲学がドーーーンと登場する時が来ているな。。と改めて感じる回でした。

無意識では環境に支配され影響を受けている自分だと思っている、自己否定の絶えない人々に是非この令和哲学カフェに出会ってもらいたいです。
そして、真に大自由な自分と、自分の観ている宇宙を思いっきり楽しむ人達で溢れさせたい。
そんなミッションと欲望を抱き、今日も令和哲学カフェへ参加したいと思います。

令和哲学アワードの詳細はこちらより

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。