【第44回7月28日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

Nakata Kenichi

 中田 健一さん

今日の特異点

特異点ディスカバリー部門エントリーに選んでいただき大変、光栄に思います。ありがとうございました。

昨日のテーマは「ニーチェと美学」の最終回であり、カントを交えた哲学のまとめのパートでした。
その中で私が感じたのが、哲学で難解とされるカントとニーチェのことをいとも簡単にまとめてしまっていたところでした。

そもそも、哲学とは何か?と聞かれて明確に自信をもって答えられる人が何人くらいいるのでしょう?

Noh先生は「いままでの知識をすべてオール否定し、まったく新しい概念を持ってきて、すべてを活かす。この正反合が出来た時にその時代の新しい哲学になる。」と言われ、なるほど!とわかりやすいと思いました。

そして、それを文学的に行ったのがニーチェ、哲学的に行ったのがカントだと。

この解析自体もすごいと思ったのですが、西洋哲学を理解するためにはたったふたつを理解すればすべて整理される!ということにも驚きました。

哲学を研究している人がこのことを理解出来たらどれだけ感動するのだろうと思ったものです(笑)

西洋哲学を理解する一つめが形而上学であり、二つ目がポストモダニズム。
形而上学をひとことで言えば、“絶対世界に価値がある”ということ。

それまでは、絶対世界である真理の基準点が客観性にあったところから主体性に移動させたのがカントでした。

初めて聞いた時は「ふ~ん。そうなんだ」ぐらいしか思いませんでしたが、改めてみるとこれはすごいことだと気がつきました。

今までの哲学が“真理の基準点が客観性”で疑われなかった時代に一石を投じ根底からひっくり返して“主観性”にしてそれまでの哲学をすべてを統合してしまったのですから。

まさにその時代の新しい哲学をもやらしたのではないでしょうか?

今回のまとめパートは、ニーチェであり、カントではなかったのでわずかな時間でさらっと言われていましたが、背景を知れば知るほど、すごいことなんだと思いました。

だからこそ、今までにないまったく新しい概念を生み出し、その時代に新しい哲学をもたらせたのだと思いました。

そして、ポストモダニズムは、今ここが重要であり、今ここの自分の人間が絶対世界を解析するし、相対世界を解析するから解析する主体が重要なんだ。これが原因であり、神を見ていて神を解析するんだ。ということを言っているということ。

もちろん、これを言える背景には明確に真理の基準点を客観性から主体性に移動させたカントがいたからであり、そこで登場するニーチェがさらに形而上学、カントまですべてをダイナマイトで破壊させたから「神は、死んだ」という有名な言葉につながるという背景。

う~ん、素晴らしいの一言で、何も言えませんでした(笑)

ここまでやってしまったニーチェだからこそ、権力者からは疎まれ、ドイツでは人気がなく、フランスで人気が出たという流れもなるほど!とうなづけるものでした。

そして、この哲学の巨頭であるカントとニーチェがともに訴えている共通点は、何んだろうかと考えていた時に先生から出てきた言葉が「人間が知っている世界では、知っているものは何ひとつもない」ということ。

存在する世界は、錯覚。

点があると思ったら錯覚。点が振動する、それは錯覚だよ。振動すれば相対世界でしょ。絶対世界は、ピーーーンと張っている世界。ピーーーンと張っているモノがあるから変化が起きる。

もう見事というしかありませんでした。

そのことはソフトに表現したのがカントであり、パシッとすべてを切ってしまったのがニーチェ。

カントは、大学教授というポジションもあり、それまでにあった学問とも妥協しながら表現したのに対し、ニーチェは、明々白々になっていることにまで疑う疑いの解析をしてしまったところがカントとの違い。

あたりまえであったことをすべて疑うけれども、最後には「運命を愛しなさい」という能動的虚無主義まで行けたところがすごいことだと思いました。

当時のキリスト教や数学まですべてを切ってしまう勇気の人がニーチェだったんだとよく理解出来ました。

このように哲学とは、何かから難解であるカントとニーチェをこのように簡単に表現してしまうことがすごいと感じた今回の会でした。

次回も楽しみにしています。

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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