【第32回7月10日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

Canbe Kazamiさん

今日の特異点

 

こんにちは。今回初めて「令和哲学アワード」の栄誉を頂きまして、ドキドキしながらこの記事を書いています。

このアワードを簡単に噛み砕いてみると、『数学で言うところの「特異点」のように、1点から大きな発見につなげていく』この発見を皆さんと一緒に出来ればと思います(^^)

今回(第32回 7月10日)は、久しぶりにコミュニケーションが濃い回だったと思います。
みんなの感想を読んでいると、「良く分からなくなった」「着いて行けなかった」「眠くなってしまった」そんな声もありました。

今回、言葉の密度が今までで一番濃かったですよね。

 

私たちは通常、言語を使って考えます。
すると、考えを意思疎通することは、言語を使って出来るはず…

でも生まれたのが、相良さんと吉田さんの間のChaos(無秩序)状態。
一方は「自分達は同じ」と言い、一方は「自分達は違う」と平行線、無疎通状態でした。

「ん~~~(-“-)」な感じの視聴者も多かったのではないでしょうか。
みんな説得を試みますが、場の誰もこの2人を統合することが出来ませんでした。

第一回の特異点、場の転換は何によって起こったでしょうか?

 

それはNoh先生の言葉から始まりました。
2人の言葉の裏にある「規定」の確認を、精密に行って行きました。

実際2人に規定の違いがあっただけで、その中身は同じであったことが分かってしまいました。

誰も明確に説明出来なかった2人の間のすれ違いを、Nohさんはどうして把握できたのでしょうか?

 

私が受け取ったのは、それは凄く繊細で精密な「言語」の理解です。

WHT参加者一人一人が、同じ趣向の仲間でいるように見えて、言語を通して表現した時、必ずズレが生じます。

あいまいな表現だったり、テーマから外れて別の論理を展開してしまったり。

そもそも、自分の中の論理が、どこから組み立てられて成立しているのか。
その裏にある自分の中の言語が、どう規定されているのか。
まず自分の使い方が見えていないと、人の使い方も見えません。

規定が分からないまま言語に使われる者・被統制者でなく、自ら言語を規定することも出来て使う者・統制者である時、人と言語に美しさが備わると思います。

Noh先生は、2人が「どんな規定を持った上で」言葉をしているのか、常に言葉に出て来ない裏の規定をキャッチする姿勢で、全員の会話を聞いていたはずです。

そしてNohさんは、2人がどこでズレているのか把握していたはずです。
切り出しから、その把握が合っているかどうかの、確認トークでしたから。

 

そんなNoh先生のコミュニケーション自体が、私には大変美しいものに映りました。

自分の考えだけでなく、グループワークの複数人の言語規定を把握し、繋がるポイントを流れの中で明確に発見されてました。

発見だけでなく、参加者と視聴者がこの問題をどう理解できるのか…
そこまで考えて話す論理を構築しながら、聞いていたはずです。
その結果、Chaos(無秩序)であった場がCosmos(秩序)へと統制されて行きました。

人と人との間を渡る、人を超えたその美しさに、私は感動の涙を覚えました。

第一回の特異点、それは言語と論理の統制者であったNoh先生そのものですね。

 

私たちは毎日、そんな確認していますか?
「同じ日本に生まれて、同じ日本語で話してるから、同じでしょ」

相手の規定がどうなのか、自分の規定がどうなのか。
合ってるのか間違っているのかも、実は分からないまま展開する日常会話。

そして毎日の行動も会話も、お互いが自分の考え(言語)を満たそうと働きます。

 「言語の宿命的課題とは何か」

全てを解決する言語の美しさと出会える全5回、私も楽しみです(^^)

 

※実は言語の問題、デジタルの世界では明確に理解することが出来ます。
コンピュータは超精密な規定を持っていて、規定通りの言語(プログラミング)で話さないと、何も仕事をしてくれません。

Nohさんはここに着目し、誰でもデジタルのスペシャリストに育てる教育プログラムまで作ってしまっていますよ!

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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