【第189回3月8日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

  Koda Emu

甲田 絵夢さん

今日の特異点

不安社会を安心の海に変える新しい家族のカタチのテ-マに興味津々でみました。

現代の家族の問題からスタ-トした令和哲学カフェ。
いずみさんのストーリーに、ものすごい共感をした。
いずみさんが、夫の心のお葬式をしたように、私は心の中で夫を同居人だと決めなければ、居られなかった。「1人でいるよりも、2人でいるほうが、よっぽど孤独だった」事を思い出した。

1番ショックを受けたいずみさんの言葉は「血が繋がっていると思うから、本来分かり合えないのに、分かり合いたくて、時間、空間を共有する事が、間違いだ」でした。一緒に居れば、今はダメでも、いつか分かり合えるはず…と無意識に信じていた事に気がついた。

血が繋がった家族なんだから仲良く出来るのが当たり前。
お母さんは、家族の太陽でいなくちゃ。お母さんは優しいものだ。そう思い込んでいた。

でもこれは、自分のアイデンティティを、完全に無視した、お母さんとはこうあるべき、という理想像を固定され、自分でも固定していただけだった…

お父さんに向かう期待より、お母さんに向かう期待は、より大きなものになる。
家庭を守るのは女性の仕事、子供の成長、家庭内の快適性、近所の評判、すべてに応えるのが当たり前。
そんな常識に浸る夫も子供も、日常生活のめんどうな物すべて母にまかせて、全面的に依存する。
当たり前過ぎて、誰も問題を感じないまま日常生活に追われるお母さん。理不尽さ、酬われない涙がいっぱいなのに、自分で自分を理想の母親像と相対比較して自己否定を繰り返してしまう。
その積み重ねで、母親以外のアイデンティティを押し殺すうちに自分が無くなってしまう。これ が、母親の悲しい涙だと思う。

この悲しい涙も、家族が分かり合えないのも、根本の問題を互いに理解出来た共通土台を持っていない事に原因があったんだと、WHTでみごとに伝えてもらった。

今回の令和哲学カフェで学んだ事は、血が繋がってるだけでは、一緒に暮らしていても、一生解り合う事は無い事。
いつか、解り合えるはずの思い込みによって相手や自分を責めてくるしんでいた。
本当は、誰も悪く無かったんだと解り、優しくなれたし、子供たちに話しかける時間が増えた。
認識が変わるって、本当に凄いなと思った。
ありがとうございました。

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