【第160回1月22日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
田中 佳奈江さん
今日の特異点
1/22は、「令和哲学でのぞく性の向こう側」の第5回目であり、令和哲学者Noh Jesuさんとのトークライブ&質疑応答でした。
どうして差別が起きるのだろう?
どうして互いの違いを認められないのだろう?
シチュエーションは違っても、誰しも一度はそんな疑問や悩みをもったことがあるかもしれません。
「みんな違って、みんないい」
そんなことが謳われているのに、未だ差別はなくならない。
もはや互いに違いを認め合えるなんて理想にすぎないと思う人もいるかもしれません。
今回寄せられた質問の中で、
「自分がLGBTであることをカミングアウトできる子どもが少ない。どうしたら子どもたちが、自由にLGBTをカミングアウトできるのだろうか?」という質問がありました。
それに対して、
荒牧さんが「子どもたちだけでなく、大人が固定概念、境界線をはずす教育が必要だ」と回答していました。さらに、Noh Jesuさんは「アバターで生きる時代は終わる。心の時代は、模様・形にとらわれない教育が行われる」と回答していました。
2人の回答を聞き、純粋に深く共感し、心が震えるような感覚がありました。
固定概念や境界線をはずす教育、模様や形にとらわれない教育が当たり前になれば、互いの“違い”を活かすことができる。イジメも差別もなくなる。自分も大好き、人も大好きだと胸を張って言える。そんな人たちで溢れる日本になれる!そんな確信に心が躍ったのだと思います。
私は、かつて盲学校という目が不自由な子どもたちが通う学校で働いていたことがあります。自分の指導観、価値観がそのまま子どもたちに影響するのに、一向に自信がない。でも、教員であるからには、自信がある振りをしなくてはならない。さらに、指導観が同僚たちと異なることもたくさんありました。
不安やプレッシャーが襲う中で、子どもたちからは、「どうして俺は目が見えないのだろう?」「どうして勉強しなきゃいけないの?」等と、懇切な疑問や悩み、葛藤をまっすぐ投げかけられたこともありました。
当時は、そんな投げかけに応えることができない。そんな自分の愚かさに自信を失うばかりでした。
当時は自分の指導観にも、自分自身にも自信が持てなかったけれど、令和哲学に出会い、今は自信をつくっていける自分に変化し、新しい教育から日本を変えていきたいという夢をもてるようになりました。
私は現在、小学生や中学生を対象にした教育コンテンツの制作をしています。リーダーをさせていただき、学びも物凄くあるけれど、たくさんの未熟さに出会うこともあります。
しかしながら、今回荒牧さんや出演者5人が、等身大でチャレンジしている姿勢にとても刺激を受けました。特に、最後に荒牧さんが「曖昧ではなく100%出し切って楽しかった」と清々しく語っていたことが印象的でした。今ここに没入集中し、仲間と令和哲学への愛情をもって臨む姿勢。それこそが、人の心を動かし、明日の元気をプレゼントするのでしょう。
私も、こんな純粋で愛情溢れるチームをつくりたい。
みんなが懇切に知りたい内容、感動をプレゼントできるようになりたいです。
皆さんの清々しいチャレンジに、感謝を込めて。
感動をありがとうございました。
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