【第124回11月23日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

Taichiro Yamada

山田 太一郎さん

今日の特異点

「わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは
乗り越えられるべきあるものである」

令和哲学カフェ第二期がスタートしました。ファシリテートのバトンをNoh先生から各週で受け継ぎ、新たな令和哲学カフェを築いて行く。
トップバッターは、長年医療現場でご活躍されている長岡美妃先生が、令和哲学カフェで一番感銘を受けた「フリードリヒ・ニーチェ」とその著書「ツァラトゥストラ」を題材に哲学をより深く人生に落とし込み、実践に向かう壮大なチャレンジが始まった。

まずは長岡先生によるニーチェのプレゼンテーション。彼の生い立ちから人物像、時代背景、影響を受けた思想、哲学、そしてツァラトゥストラまで実に整理された内容で、一瞬にしてニーチェの世界へ引き込まれた。

続いてメインであるディスカッション。
ツォラトゥストラに書かれている「神は死んだ」と長岡先生が医療現場で遭遇したあるエピソードを題材に論客者の討論に私の無意識が徐々に顕在化され始めた。

内容は「緩和ケア病棟で、ある60代中盤男性が死の3日前ぐらいに言った言葉、『先生、自分の人生はこれで良かったのか?』
『自分は旦那としても、良き父としても全うした 会社でも多くのことに貢献した でも自分が人生ですることは
これであったのか?それが分からない』
この問いを受けて、長岡先生は当時どのように答えたら良いか分からなかったと話した。

私は医療従事者でも無く、その様な体験はもちろんしていない。
しかし長岡先生が話された「医療現場は死が身近であり、人間は何故生きるのか?何故死ぬのか?スピリチュアルペインの魂が叫ばれ、そこに対応する為に哲学が求められる。」は
生と死が混在した一般では味わえない重みのある第一級の現場の一つだと私は思う。また長岡先生からはそこで練り上げて来た魂の躍動と鼓動を感じた。
その医療現場は一般の感覚から程遠い世界ではあるが、私達の意識を上げるヒントが散りばめられている。

論点もやはり生と死、そして生きるとは?に注がれた。
「時代の価値基準に沿った生き方の末路は本当の自分が分からず疑問で終わる」

「本当の生き方が出来なかった事へ疑問が持てるセンスがある」

「『神は死んだ』の通り、自分達が信じた価値観など実在しなかった」

「あなたは本当はどうな生き方をしたかったか?と投げかける」

「永劫回帰で魂が続くのを学んだが、それを知らず一般的な成功をした人は死をどう受止めるのか?」
など、難題に果敢に挑んだ。

ここから何を掴めるのか、

そして、

どうしたら彼に明確な返答が出来たのであろう?

私なりの見解はこうだ。

死の間際に人生これで良かったのか?と云う疑問が出るのは、この状態に至るまで如何に考えを止め、普遍的な価値観に奔走していたのかが見える。
普遍的な価値を良しとするのは一つの指標であるから、その海で全うするのはなんら問題は無い。
問題は無いが、心底から満足感は得ることはない。
何故なら、得体の知れない誰かにつくられた海を泳がされているからであり、この事に気づいていない。また、そうだとも考えたくもない。皆何者からの統治を拒み、個人の主権と、個人の幸せを追求する海だからだ。
「私が生きて、呼吸している」と主体的に人生を歩む自負と誇りは我をより強固にさせて幸せだと錯誤する。

だが主体的に生きて来たつもりが、自ら道をつくり歩んだつもりが、実は道によって決められた歩みを進められている酷く受動的で、虚しく、奴隷的で、考えすら他発に起因する。
どんなに社会構造変わり人間の幸せを追求したとしても、
この現実は本当の主体と出会い一致させなければ永遠と繰り返す悲劇であり、心底から満足感は得られない。
この事を意識して今を生きるわけでもなく、断片的に「何か違う」違和感を感じたとしても、敏感にアンテナを広げ特別時間をつくり深い思惟までには至らないのは、日々に忙殺されるだけが理由ではなく、普遍的な価値観では全く意味を見出せないから。
それが死の間際、日々の忙殺から解き放たれはしたが余命と云う有限化された時間に強制的に意識化に至った。
「これで良かったのだろうか?」と。。
そう、身も心も燃やした後病院の一室で気づくのは惜しいと思う。
そこに至るまでに機会はあったし、メッセージも入って来てたはず。
健康な内に敏感に、貪欲に受け取っていたのならまた違っていた。
人間は前へ前へ飛んで行く矢の最先端。
だがその矢が何処から飛ばされたかを知ろうとする哲学を持つべきであろう。
その必要性を彼は命が尽きる前に気づき始め、魂から欲し、疑問に至った。これは彼からのメッセージでもある。

あぁ永劫回帰とはどれほど過酷ななものだろうか。
例外なく誰にも訪れ、逃げ場はない。
だけど永劫回帰から抜け出したい意志があれば必ず出口は見つられる。この極々微細な出口を抜けられるのは人間だけである。
そう、人間だけであるが故に彼のメッセージを真摯に受け止めて昇華させるのが私達の努めではないだろうか。
それは、Noh先生が話した「死ぬ時に持って行く大切なもの。」
今ここ源泉的動きしか無いことを常に認識しているのが死の間際で慌てない為に本当に大切で、新しい価値観として普遍化させる。

パラダイムシフトの道は容易ではないけれど、それを促し道標を示した偉大な哲学者達も存在した。

「わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは
乗り越えられるべきあるものである」

人間だけが唯一、真理に到達できる、超人になれる。
一人一人が超人になる可能性を令和哲学カフェ第二期の記念すべき第一回目で感じられたのは、

いつの日か一人一人が超人になるのをニーチェは願ったから。

始まっている時代の潮流、誰も取り残さない令和哲学カフェはまだまだ続いてく。

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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