【第115回11月9日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
よしじゅんさん
今日の特異点
11/9の令和哲学カフェのWHTテーマは「疑うことと信じること」でした。
最初は、疑うのも信じるのも知恵ある生き方には思えなかったんですが、WHTとそのあとのまとめを通して整理ができてスッキリしました!
「疑う」と「信じる」で意見が分かれたとき、何を疑うのか?何を信じるのか?を明確にする必要があるのですね。
日本語には「疑う余地がない」という言葉があります。これは、信じることと似たような意味で使われています。
私が令和哲学と出会う前は、自分のことも他人のことも信じられませんでした。
人から何をほめられようが、受け入れられなかったし、他人のことも信じていなかったので人に頼ることもできませんでした。
結果的に人間不信を蓄積していたわけです。
令和哲学と出会って、実は自分の存在を疑うところまではいけないという、中途半端なところまで疑って、中途半端なところだけを信じていたことに気づきました。
部分的なことを疑っている間は、信じていることも部分的になってしまいます。
時間も空間も存在も、そして自分の存在が絶対的に実在していないことを疑っても疑っても疑いきれない境地へ到達したときに初めて信じることができるのです。
「疑う余地がない」という言葉は、疑うこと=信じること、を別の表現で言い表している言葉だなと思いました。
今の情報化社会では、信じることよりも疑うことの方に偏りがあるように感じます。
情報がありすぎてどれが本物かわからないからこそ、すべてを疑ってかかる、それ自体は悪いことではありません。
しかし、疑いすぎたとしても、最終的に自分の体がある、自分はこういう人間だ、というところを疑えないことが自分を苦しめているのです。
哲学も、まず疑うことから始まって、疑うことがなくなったときに、信じられる新しい概念が生まれます。
疑う=信じるまでいけるところが、科学にはできなくて令和哲学にはできることだなと思いました。
疑う、という言葉の意味自体に革命がおきた、昨日の令和哲学カフェでした。
令和哲学アワードの詳細はこちらより
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