【第62回8月21日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

    Shimizu Mayumi

清水 麻由美さん

今日の特異点

第62回『ドゥルーズと思考』令和哲学が今ここ使える方法!!
 
 
みなさんは、令和哲学にどんなスタンスで参加していますか?難しくて話についていけなかったり、集中出来ずに、いつの間にか寝てしまったってことはないでしょうか?
私もそんな事がよくあり悔しい思いをしていたのですが、粘って参加していくうちに楽しむポイントが見えてきたので、私なりにまとめてみました。
 
 
① 出演者になりきってみよう!
② 自分の主義主張を貫く!
③ どこで使うの、令和哲学?今ここでしょ!
④ ドゥルーズ哲学で論破の構造を知る!
 
 
 
① 出演者になりきってみる!
 
今回のメンバーの何に魅かれたかというと、臨場感です。
思ったことをそのまま、口にして、涙あり、笑いありで、何が起こるか分らないというライブ感がありました。そこに自分も6人目のメンバーとして参加するようにしてみたんです。
 
 
今回のお題は『個人が歴史的な大事件を起こすためには、何を知る必要があるのか?』でした。
それに対して、自分も応えを出してみて、出演者の答えに自分の論理と近い人を決めて、なりきってみます。自分だったら、誰を論破するだろうな?とか、
自分だったらどう答えるだろうな?ってシュミレーションしながら、出演者の発言に、共感したり、違和感を感じたり、ジャッチしたり。敢えて入り込んでいきます。
 
 
そうすると、案の定、カオスにはなるのですが。
そこが使える哲学に必要なポイントなんです。そのカオスがあるからこそ、Nohさんのまとめを聞いた時に絡まりの原因が分ってスッキリしたり、逆に疑問が出てくるので、それを質問コーナーで質問してスッキリしたり。その場でできなくても、アンケートと一緒に質問も入力できるので、自分の中の疑問を言語化することでまたスッキリします。
そして、その質問にNohさんは、イメージ破壊を起こすような応えをプレゼントしてくれるので、受け取側にも意識の拡張が起きるのです。まだ
質問されてない人は何でもいいので自分の中に生まれた疑問を見逃さず、質問してみてください。
 
 
②自分の主義主張を貫く!
 
今回のWHTのターゲットとなったのは浩成さんですが、前回のリベンジで、主義主張を貫き通していましたね。そうすると意外だったのですが、お互いの意見がぶつかりやすくなり、曖昧だったことが、明確になっていくんです。
この時に、正しい、間違っているは考えずに、自分の主義主張を貫いていく中で、不足していることが観えてくるので気づきが大きいんです。そして、論破は勝ち負けを決めるものではなく、お互いを深く理解するツールになるんですね。
自信がないと、相手の意見やエネルギーに押されてしまうのですが、感覚的にでも、もやっとしたなら、納得できるまで貫くことで、無意識が意識化されていくのだと思いました。
 
浩成さんの主張『尊厳がないから事件が起きている』VSアッキーさんの『尊厳があることを知ることで事件を起こせる』の対立構造が明確になることで、ゲーム性が出て面白くなるし、論破していくことで、互いの観点の違いを理解し、その観点からどんな道を通って(条件で)、その応えにたどりついたのかを探求している様にも見えました。
 
今回でいうと、事件の前提が違っていたことがポイントだと思うのですが、その中でも、『良い事件と悪い事件』『今までに起きた事件とこれから起こそうとする事件』という風に一つの言葉にもいろんな観点が潜んでいて、対称性が観えて面白かったですね。
 
 
③ どこで使うの、令和哲学?今でしょ!
 
今回最も臨場感のあった場面として、Nohさんの今までにない突っ込みでした。
 
出演者の塩見さんが大事件を起こす為に必要なものは『自分と自分の宇宙が無いことを知る』と主張したことに対して、Nohはその知っていることを今ここで使って、事件を起こしてみてください!』とWHTの場を事件を起こす現場にしちゃったんです。それに対して塩見さんがどう答えるのかハラハラしながら見ていたのですが、
 
『目覚めろニッポン!!』と大きなお声で言い放ったのにはビックリしましたね〜。まさに囚われやすい環境である自分と自分の宇宙を無くして、事件を起こしたんだと思いました。私ならパニックになってたと思います。
 
そんなライブ感満載のWHTでしたが、それを通して、今ここで使うということがどういうことなのか?いつもいつも、無意識に使っている自分の認識形式(観点)はどんな大前提があるのか?それを瓶の外と中を同時に観れる
状態に心をおいて、実践していくことが知行合一に繋がるんだなぁと思いました。
 
 
④ ドゥルーズの事件哲学を使って論破の構造を知る!
 
ドゥルーズは今ここで事件が生まれる、欲望、意味がうまれるといっていて、人間は、事件の単位、意味の基本単位を繰り返し量産出来る抽象機械だと言っています。この、事件の哲学を使って、WHTでのやり取りを参考に論破がどんな仕組みでできているのかを整理して頂きました。
 
人とやり取りする時には、相手の観点(器)がある。どこの器に接続して自分の器のデータを入れるのか?今回でいうと事件の定義なのか?未来、今までという事件の時間軸なのか?そこで相手の考えの流れを変えるのか?今までの流れと変えた流れを喧嘩させる。それで自分が間違っていたと思ったら変わるし相手も変えられるということです。
相手の考えの流れを変えるには、意味が固定して存在していると思っていたら難しいということなんですね。
 
令和哲学では観察する前に接続すると言っています。目でみるのか、1(源泉的動き)で観るのかで、エラーのデータがくるのか、全体を統察するデータがくるのかが違うように、観察する前の認識主体の変化が必要なんですね。
まだまだ、理解するには時間が必要かかりそうですが、Nohさんも改めて西洋哲学を整理して共有頂けるということでしたので、それも楽しみにしながら、粘って、少しづつでも深めていけたらと思います。
 
 

令和哲学アワードの詳細はこちらより

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。