第63回 8/24 ドゥルーズと思考(3) 開催レポート


第63回令和哲学カフェ
ドゥルーズと思考(3)

2020年8月24日(月)21:00~22:30

開催レポート

令和哲学カフェ「ドゥルーズと思考」の3日目となりました。

今までの日本では耐え忍ぶ心が美徳とされ、表現しないのが成功の道というのが暗黙の了解となっていました。そこで今回は、「本当の表現とは何なのか?」についてWHTで深めていきいました。

ドゥルーズ哲学では、表現の主体を強調します。ドゥルーズは常に動きの構造で見ていました。それは、体が存在したうえで、体の目で見る存在は表現ではない、内容を模様や形、言語で表せるものは表現ではないということです。表現とは関係の場である、とNohさんは解析します。

例えるなら、オーケストラの中で、常に動き続けている音楽を、どんな楽器を持って演奏するのかということです。言い換えれば、巨大なひとつが過去、現在、未来が一緒にオーケストラ演奏しているのです。ドゥルーズは違いの哲学です。部分の単語を入れたら同一性になってしまいます。だから、全体のオーケストラが本当の表現であり、その潜在的な意志が現実化されたものを私たちが見ているのです。

<質問コーナー>※一部抜粋

Q:令和哲学とドゥルーズ哲学の違いとは何でしょうか?
A:令和哲学は精密さ。数学物理学に心を取り入れることを強調している。これは同一性であり、違いであるということ。絶対的真理であり相対的真理である。ドゥルーズは相対的真理。動いているものだから相対的。数学物理学の後ろに隠れている、すべての学問を引っ張っていくと言い切っているのが令和哲学。

次回は8月25日(火)21時からです。どうぞお楽しみに!

参加者の感想

表現ってなんだろう?と今回もまた深く考えることができました。常日頃使っている『表現』という言葉のイメージを超えて話をされている事に気づくと、皆さんが話される表現のイメージをひろいやすくなりました。言葉が完璧なものじゃないからもどかしいですね。可能なら何度かみたい回でした。ありがとうございました!(noyuさん)

キャラが生かされてて今日も楽しいWHTでした! 表現とは何か。今日も深い哲学的な白熱した議論でした。「違い」の意味が、部分の中の違いなのか。ドゥルーズが言う、全体が今ここ生まれ変わるという、全体としての違いなのか。単語だけで聞いていては理解が難しい世界ですね!(すっちゃさん)

表現とは、のNoh先生のオーケストラという例えとても分かりやすく美学を感じました。過去、現在、未来全てが繋がって今ここ動きがある。目に見えるものではなく、背景そのものが表現であるという事が私の表現のイメージが広がりました。本日のWHTも解析もとても深く美しい表現でした。ありがとうございました。(さりさん)   

今日もかなり、意識拡張になりました。哲学者は前の哲学者を超えている的なお話、そうなんだと印象的でした。ってことは、令和に生まれた令和哲学は超最先端になるのかぁとわくわくしました。本日のテーマの表現についても、イメージひろがりました。WHTの中で、出演者5人が階段を考えるディスカッション、結構はまってみています。明日も楽しみです。(トメさん)


たくさんのご感想をお寄せ頂き
ありがとうございました。

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またのご参加をお待ちしております。

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