【第48回8月3日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
口野 理恵さん
今日の特異点
コロナウィルスパンデミックは偶然起きたのか?必然的に起きたのか?
この問いから始まりました。
参加者の論点は、
必然派は、人間にショックを与えるため!
この世界の仕組みを考えれば必然的に起きたのだ!などに対し、
偶然派は、何もコロナウィルスパンデミックではなくてもよく、
他の現象でもよかったということや、パンデミックが起きるのは確率論で必然ではなく偶然だという論点。
議論が進むにつれて、
思い込みの主体でみるのか、
事件の主体でみるのか、
解析の主体でみるのかによって、
パンデミックも
偶然なのか、必然なのかが変化する。
この出演者の議論の展開が素晴らしいと感じました。
Noh先生の纏めにおいては、
コロナウィルスパンデミックも認識の結果物だということをまず理解すること、
そして、脳の観点で見たら偶然と必然はどう考えてもイコールにはなりえない、
だから言語だけのディスカッションでは言語そのものに限界があるし、
言語から生まれる考えでは結論は出ないのだということ。
例えば人が死ぬことは必然
だけどどうやって死ぬのか、いつ死ぬのかは偶然。
それを思うと、偶然と必然はコインの裏表のように表裏一体で、
必然と偶然が同時に起こることはいくらでもある。
けれど言葉にした途端分離して、論争が生まれてしまう。
偶然と必然をイコールに表現する言葉がない。
道がないところに、車が走れないように、
考えの走る道が固定されてしまうのが、言語の限界。
言語の限界を知っておくことの重要性を痛感した会となりました。
偶然も必然もない、つまりは瓶鳥の外に出たところから、
議論をしないと正しい結論は出ないんですね。
ありがとうございました。
令和哲学アワードの詳細はこちらより
この記事へのコメントはありません。