【第108回10月28日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
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特異点ディスカバリー部門
yoshiko nishioさん
今日の特異点
今回第108回目を迎える令和哲学カフェ、テーマは「マルクスと令和哲学」に入ります。
哲学ではタブー視されるマルクス。
心だけがある!と言い切る令和哲学と一番遠い唯物論のマルクスをどう整理していくのか、
開催数にふさわしく、百八煩悩を突破するかの如くNoh先生の軽快な解析が進みます。
今までの哲学者は、宇宙・自然・人間をどう理解するのか、解析、理解のレベルだとすれば、マルクスは社会変革の哲学。
今この現実をすべての事件の出発で見るのか、終点でみるのか。
マルクスは唯物論なので、理想社会をつくるために今ここ現実をスタートラインとして捉えます。
現象学的な観点でみれば、マルクスの心、つまり、解析主体が1。
イメージ言語で、1からのマルクスの解析がイメージ、理解できます。
人間阻害がない社会をつくるためにどうしたらいいか、前進的見方のレベルから、現象学はバックして捉えます。
世界の根源、宇宙の根源、すべての変化を動かす原動力は何なのか、それがどんな状態で成り立っているのか。
純粋意識から、潜在意識、意識から現象、そしてそこに意味価値付けをしますが、マルクスの価値を生産することは労働力。それに対して普遍的な基準が作られ、それを再構築させていきます。
マルクスは人間一人ひとりの無限のアイデアを出せるようにはさせられなかったけれど、
今はたくさんのAIが生まれ、AIができることは価値ではなくなっていく時代。
アイデアを出してない人は生産手段を持つことできず、生産手段を持つことできるようになったときに立場が変わってきます。
生産手段は完全認識。
1間点を使って、宇宙のロゴスをつかって、すべての仕組みをわかって、無限大アイデア、無限大自信感、無限大チームプレイで構築できる。自分がアイデアを出せば生産手段を自分で持つようになる、これからはアイデアの時代。
令和哲学は、ひとりでいるときでも楽しくてたまらない状態であることが特徴です。
投資、労働、資本ではない。
脳から来るものではなく、1から、脳を通過してくるもの。
1間点をひとつの感覚として付けること。
令和哲学的目線でみれば、マルクスの理論が使えない時代に突入していきます。
なんだかわくわくしますね。
私は行動する、ゆえに私は存在する、のマルクス。
マルクスが労働者と資本階級を分けたならば、令和哲学は日本と日本以外に分けます。
心の日本、令和の日本を完成させることで世界をひっくり返していく、ビントリの外から錯覚現実の中に入って実践行動で未来を切り開く令和プレーヤーのゲームを無限大楽しんでいきましょう!
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