【第93回10月5日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー
令和哲学
AWARD
特異点ディスカバリー部門
冨沢 亮太さん
今日の特異点
「喪失感とは何なのか?喪失感を超えるためにはどうすればよいのか?
10/5の令和哲学カフェに参加しました。
その時のWHT(コミュニケーションワーク)のテーマは、「喪失感とは何なのか?それを超えるためにはどうすればよいのか?」でした。
私はそのテーマを聞いてとても胸が苦しくなりました。なぜならば最近の色々なニュースや出来事を目の当たりにして、実際に私自身が喪失感をとても感じていたためでした。
その喪失感は私をなんとも言えない感情や気持ちにさせ、それらはどこにも行き場の無いエネルギーとなってどこか自分の心の中にずっと漂っていました。そんな時に上記のテーマが設けられたので、そこに向き合う怖さがある反面、それをもしかしたら乗り越えられるかもという期待もありました。
そして実際に参加されてる方たちが「喪失感」に関してそれぞれの立場で表現していく内容を聞きながら、どこか言語化出来なかった自分の中にある無意識が少しづつ意識化されて行くことを感じました。
「あぁ、たしかにそんな気持ちだったかも」
「そうか、だからこういう気持ちになったのか」
それだけでもそれまで感じていた気持ちが癒やされた感覚がありましたが、私の感じていた喪失感は、そのあとのNohさんの整理でより鮮明になり、その観方によって喪失感を乗り越え、日常で生きる感覚が変わるような解析を聞くことが出来ました。
この日は上記のテーマを現代哲学を代表する哲学者「ジル・ドゥルーズ」の哲学を参考に整理する会でした。そしてそのドゥルーズ哲学、そして令和哲学の視点から観る時に大事なことは
「そもそも失われていない」
ということでした。私はあまりドゥルーズの哲学には詳しくないのですが、東洋哲学的に言えば「諸行無常」。つまり全ては常に変化し続けており、全ての存在は一時的にそのような形・状態であるだけで、常に変化している。存在しているような形のときもあれば、存在していないような形を取っているときもある。
しかしそれらは一切分離することのできない、全体がつながったひとつの動きでしかなく、それらが常に違いを生み出す動きであり、そこに意味は存在しない世界である。「有る」ことにも意味はない、「無い」ことにも意味はない。でもだからこそ、最高の意味もつけることができるし、どんな意味からも自由になることができる。
そんな観方を共有してもらうことによって、「生きている」「存在している」ことにしか意味を見いだせず、そうではない状態に対して意味を見出すことが出来ていなかった自分の視点がとても部分的で、狭い範囲しか見ていなかったことに気づかせてもらいました。
私はまさか哲学的な視点を取り入れることで、こんな身近で、深い課題もスッキリさせてもらえると思わなかったので、とても驚きました。そしてもっと哲学を日常に取り入れることで、自分が意識していない課題すら解決できる希望を感じることが出来ました。
講義や本で読むだけでは、観念的な知識になりやすい哲学や抽象的な概念が、コミュニケーションワークを通して、より自分と繋がりやすくなり、こんなに短時間で哲学を理解できる令和哲学カフェはやっぱりすごいと思いました。
なのでもっと多くの人がこの令和哲学カフェに参加して、こういった概念を自分の日常に取り入れて、色々な悩みを解決してほしいな、と思いました。
令和哲学アワードの詳細はこちらより
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