「特異点」ディスカバリー部門 エントリー【第9回6月4日分】


令和哲学AWARD
「特異点」ディスカバリー部門
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6月4日 第9回 令和哲学カフェでは、「旗がなびいている。動いているのは何か? ①旗 ②風 ③その他」というテーマを、カント哲学と令和哲学を使って深めていく内容でした。たった1時間半という短い時間の中で、今の人間共通の限界がみえ、そしてそれを突破する希望と出会うことができ、とても感動しました。

今まで人間は500万年間目で見て生きることが当たり前でした。自分の体を主体として、物事を認識してきましたが、そんな人間の当たり前を覆したのが、カント哲学だったのです。カントは、目で見る経験体験のレベルではなくて、認識形式、認識道具(観点)の発見をしました。

この発見がとにかくすごくて、カントが言っているのは、「人間の体も含め、人間が見ているもの全ては、認識形式、認識能力(観点)が生み出している結果物なんだ」ということでした。つまり、認識形式、認識能力(観点)がエネルギーのアルゴリズムであり、コンピューターのプログラミング言語であり、この世界の全てを認識形式、認識能力(観点)でみていたんです。この発見は、アメリカの大陸の発見、半導体の発見等、今までのどんな発見よりも歴史的な発見だと、令和哲学者のNohさんが言っていました。

そして、この偉大な発見であるカント哲学でさえ説明できなかった領域があります。カントは認識形式、認識能力(観点)を明確に分かっていましたが、「なぜ、どのような仕組みによって認識形式、認識能力(観点)が生まれるのか」までは語りきれませんでした。そこを補い、仕組みを語っているのが令和哲学です。そんなすごい哲学と、こんなにも身近なカフェで毎日出会えることが驚きでしたし、圧倒的な高級情報ばかりで感謝が溢れました。

本来の人間は、体を主体とした「思い込みの主体」ではなく、認識形式、認識能力(観点)が全てを生み出している「事件の主体」であり、それを全てみるのが「解析の主体」の心だったんです。いかに今までの人間が体を自分だと規定する「思い込みの主体」に閉じ込められ、小さな小さな範囲だけを自分として生きてきたのかがよく分かりましたし、そこから出ないと、人間として本当にしたい生き方が始められないことが分かりました。その500万年間出ることができなかった限界を突破する哲学に、とても希望を感じましたし、感動しました。コロナが蔓延して、パンデミックが起きているこの時代、すなわち、伝統・システム・マニュアルが破壊され、心が不安恐怖に陥り、主体性、自発性、能動性が発揮できない時代だからこそ、哲学が必要であることがよく分かりました。なぜ科学は進化発展するけれど、哲学が進化発展できなかったのか、その理由も明確に分かりました。科学が認識対象を開発するものだったら、哲学は認識主体を啓発するもので、思い込みの主体、事件の主体、解析の主体、その3つの主体が1つになって、心が健康になる道を案内する令和哲学に、無限大希望を感じました。これからも令和哲学カフェにどんどん参加して学びたいと思います。

令和哲学
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特異点ディスカバリー部門

Auther : Aiko Kitagawa

北川 愛子さん

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