6月11日【第14回令和哲学カフェ】 哲学の美学-カント(9)
第14回令和哲学カフェ
哲学の美学-カント(9)
2020年6月11日(木)
21:00~22:30
開催報告
第14回令和哲学カフェは、272名の方にご参加いただきました。ありがとうございました。
引き続き、「哲学とは何か」「観点とは何か」を中心テーマにした内容をお送りしています。
今回の集団コミュニケーション訓練ワーク「WHT(Widening Heart Technology)」では、最初に前回のテーマ『不安・憤怒は、どういう条件だったら希望に変わるのか?』について5人の参加者が語った内容をリピートしながら、整理していきました。
「どんな条件で不安・憤怒が起きるのか」について参加者がコメントした内容に対して、Nohさんがそれぞれの主義・主張の軸がしっかりあるのか、テーマに沿って相手が納得できる説明をしているのか等を確認する鋭い突っ込みがたくさん出ました。
人生は「だます・だまされるゲーム」であると捉えたとき、あらゆる情報・感覚・言語・感情・イメージ・論理は、実はその「だます・だまされるゲーム」にハマるようにさせる道具であり、人類が今まで合意してきた意味や価値、関係性も同様に、「だます・だまされるゲーム」に燃え上がらせる道具だとNohさんは解析していました。
このゲームの中に閉じ込められている状態では、常に不安や憤怒がつきまとう人生になってしまい、希望を持つことは不可能です。
そんなゲームから自由になって、無知を突破するためにも、哲学(フィロソフィー)が必要だということを深めていきました。
最後に、人間は何を知り(know)、何を実践し(Do)、何を希望することができるのか(Hope)の3つに関連するお題がでました。
①know:「だます・だまされるゲーム」を成り立つようにさせる中心道具・基本単位は何か?
②Do:世界75億の人々にそれを一番速く広げるには、どんな実践行動が必要か?
③Hope:その実践行動をする中で、どんな希望が広がっていくか?
次の開催は6月15日(月)です。それまでに、ぜひ身近な方とこのお題について考えてみて下さい。
次回もどうぞお楽しみに。
今月の予習
今週の令和哲学カフェでは、彼は18世紀を代表する近代哲学の祖と呼ばれる「カント(イマヌエル・カント(Immanuel Kantドイツ (1724年-1804)」から,令和哲学で哲学について深堀していきます。
哲学とは「人間とは何か」を探求する学問であるとカントは主張しています。カントを理解することを通して「人間とは何か」が見えてくる気がしませんか?
カントは『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書が有名です。中でも、「コペルニクス的転回」と呼ばれる認識論上の革命を起こした『純粋理性批判』は今回の令和哲学カフェのご参加では予備知識としてみておくとよいかと思います。
一体どこが革命的であったかを知ると今回の令和哲学カフェが2倍面白くなるでしょう。
カントを知るうえで押さえておきたいポイント
「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」
POINT! それまでの哲学でいわれてきた、人間の認識は対象を受け容れるものだとした認識論に対し、人間は対象を認識することはできず、人間の認識の主観が存在を構成するのだと説いたことです。このことから、人間の認識の限界を探求する近代の認識論が成立しました。
“simple is the best beauty”
人類歴史は、美しさを追求してきました。
人間は美しくなりたいし、本当の美しい文化文明もつくりたいと願ってきました。
これまで生きる意味や価値を追求してた宗教の限界から、人類は科学の概念をもちいて豊かな世界をここまで創ってきました。
次の時代、令和では、宗教と科学を融合した美学の時代が始まることを提言します。美しさとは・美とは何なのか?を皆様と語り、それらを作るためにどうしたらいいのかを語る場にしたいと思います。
またのご参加をお待ちしています。
この記事へのコメントはありません。