【第227回5月3日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
AWARD

特異点ディスカバリー部門

era

era さん

今日の特異点

非日常の日常化
〜地球祭りへのシナリオ〜

テーマは「日常とは何か?」

そもそも「日常」って?・・
日常について深く考えてみたことがなかったので、これは面白そうと心の器が大きく開きました。

ひとりひとり大切にしている価値観によっても、日常に対する捉え方が違うことがみえたり、深く考えたことがなかったことを考えてみることを通して、問題や課題発見、アイディアが生まれたり、これってどうなんだろう?と質問が生まれたり、当たり前のように感じていた日常に対しての観方(みかた)に変化が起こせるのだと感じ、それにより当たり前の日常が尊く感じられるようにもなると思いました。

日常とは何か?について考えた時に、2つキーワードが出てきました。

ひとつめは、「言語」
ふたつめは、「(日常が)どんな認識なのか?」

ひとつめの「言語」については、
日常で使っている考えは言語を使って考えているのと、ファシリテーターのまどかさんの自己紹介であった好きな言葉を紹介しているのを聞いて、その人の日常がどんな言語で溢れているのか?どんな言語で考えるのか?その人を構成していく要素となり、日常となり、人生を描いていくものになるのだなぁと思いました。

ふたつめの「(日常が)どんな認識なのか?」については、
目の前に映る現実だけを見て、考えたり、判断したりするのでは、先入観に固定されてしまって柔軟になれない限界があると思いました。
ものごとの背景や仕組みを観ることが出来て、深く洞察できる認識センスが日常で使える道具として持てたら、これはめちゃくちゃ使えるものだと。

ここで、令和哲学カフェでも登場している、フッサールの「判断停止(エポケー)」人間の主観を通じて世界を客観的に認識するのは無理だから、主観となる先入観はいったん横に置いておいて、先入観を外して物事をみないといけない。でも仮に先入観を外したとしても、その状態が先入観が外れた状態だと誰が証明できるのか。先入観を持っていないという先入観があり得ることをどこまでいっても疑えてしまうから、判断停止しよう。
そして、意識のベクトルが向かう外観を受け入れるのではなく、自分の意識・内面に着目せよ。内面的な純粋意識の事実に立ち返る「現象学的還元」(まだまだ勉強中ですw)

目の前の世界が、自分が観ている自分の意識の宇宙であるならば、出会っている目の前の世界に対して、どんな姿勢態度で出会うのか?
自分の人生すべてが自分に責任がある。
だから、日常が観点1個に固定された認識でいるのか?観点0個の認識でいるのか?観点∞でどんな観点でも楽しめる認識でいるのか?目を開けた瞬間、目の前のすべてが自分として認識でいる日常なのか?

最後に、ファシリテーターのまどかさんが語っていた、テーマに込めた想い。
どう生きていけばいいのか?どう生きていきたいのか?を問われている時代と感じていた。令和哲学カフェという放送局を通して、77億全人類に対していったい何を伝えたいんだろう?と考えさせられるいい機会をいただいた。今、コロナという共通の危機、時代の危機に出会っている私たちだからこそ、改めて私たちの日常、日々の生活がどう変わっていったらいいのだろうと、答えを見出そうとしているのではなく、疑問を投げかけたい。些細なことでもいいので、ひとつ質問を持って欲しい。自分の人生に問いかける何かキーワードをこの5日間を通して感じてもらう、あるいはゲットしてもらう、そんな時間にしていただけたらすごく嬉しい。

そんなふうに語るファシリテーター&出演者の皆さんと共に考え、多くを与えてもらった「日常とは何か?」
そして、考えることや、言葉で表現することが苦手な私の意識を広げることが出来きるように変化できたのも、令和哲学に出会えたからだと感じています。

非日常を日常化することを通して、現実化・具現化していく変化をこれからも楽しんでいきたいと思いました。
ありがとうございました。

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