第114回 11/6 ウィトゲンシュタインと令和哲学(2) 開催レポート


第114回令和哲学カフェ
ウィトゲンシュタインと令和哲学(2)

2020年11月6日(金)21:00~22:30

開催レポート

「ヴィトゲンシュタインと令和哲学」2日目の開催レポートです。

今回のWHTは「言語の限界をどう超えていくのか」をテーマに、それぞれの意見をストーリー立てて一つに融合させていきました。

ノさんの解析の一部をご紹介します。

ヴィトゲンシュタインは言語の限界を語り、哲学の終焉とまで言い切った哲学者。
例えば、「雨が降る」と言うけれど、降らない雨はあるのか。よく観察すると、表現がおかしい。

「道可道 非常道 名可名 非常名」
タオ(道)を「タオ(道)」と名前をつけてしまったら、常に変わることのないタオではなくなってしまう。名前をつけて言語化することがどれだけ限界なのかについて、老子道徳経では語っている。
ヴィトゲンシュタインは、哲学自体は言語で語れない世界なので、新しい認識形式が必要だと解析していた。
これからは言語の限界、学問の限界を超えた完全学問が必要な時代。

<質問コーナー ※一部抜粋>
Q:ヴィトゲンシュタインは言語の限界に対してどんな解決策を出していたのか。彼の限界は何か。
A:彼は、言語に問題があることに気づかないまま哲学は無駄な論争をやっているとはっきり言った。哲学は言語で語れない世界の啓発。イメージ不可能、認識不可能、感じること不可能。だからヴィトゲンシュタインは新しい認識形式が必要だと。
令和哲学では「1・間・点」と言ってる。彼はそこまでは言ってないけど、学問の挫折が起きたときに新しい認識形式が生まれるだろうと。令和哲学はまさにヴィトゲンシュタインとぴったり。

参加者の感想

言っても、言ってない。聞いても、聞いてない。動いても、動いてない。触っても、触ってない。言語自体の限界を知ることは、人間の知性の限界を知ることでもある。知性の限界を知ることで、この知性の外を知る。言語とは、揺れ動き、穴だらけの霞のようなものだ。儚く、二度とない夢。奇跡のアート。不動の地獄から生み出される究極のアート。みんなで最高の意味価値あるアートにしていきたい。(ジャパン・ストーリーさん)

ありがとうございました!諦めない心がはじめ根性論っぽく聞こえたけど、先生の整理で、瓶鳥の中外往来できるから楽しめるから諦めない、と言っていて納得できました。(摩耶さん)

ヴィトゲンシュタインとつなげた言語の限界、解決策というテーマでのWHT、明るく論点を攻めうディスカッションとてもたのしく感じました。このテーマが裏にある事で身近な所から世界まで現実世界で事件がおきてます、今回に限らず大切な問題意識として哲学していきたいと思います。(GOSANさん)     

人に伝達するときに言語を一番意識していたけれど、実は言語は一部分であり、それ以外が大部分であることが新たな気づきでした。 現場で学ぶことが沢山あることを、WHT出演者の方々から教えていただきました。本日もありがとうございました!(ダルさん)


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ありがとうございました。

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またのご参加をお待ちしております。

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