【第117回11月11日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
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特異点ディスカバリー部門

Morphie

Morphie(風見雅子)さん

今日の特異点

シリーズ最終回はNoh先生のまとめを聴いて、哲学の終焉を宣言し哲学をパラダイム大転換させたヴィトゲンシュタインが掴めてきました。

言葉で表現できない世界があることを「物自体」で表現したカントに不十分さを
感じ、言語の限界をとても精密に表現した人だったのだなと静かな感動から始まりました。

ヴィトゲンシュタインが「全ての哲学の理論は一滴の言語論理に収斂できる」と信じ、前期哲学と後期哲学を通して探求し整理していった足跡が見え、その道のりを感じると涙が滲んでしまいました。

言葉で表現できるものと言葉で表現できないもの、この二つの境界線を明確にすることが哲学のエキスだと分かっていながらも、世界と言語を複合事実・原子事実そして事態たちの真理で整理した時、

彼に見えた世界は人間の思考表現の限界と同時に哲学はスタートが間違っているから難しいという限界でした。

だからこそ、本物の人生とは本来言語形式に束縛されないものであり、言葉で表現できる領域と言葉で表現できない領域の両方を往来させることこそが哲学の活動Positionであるはずだと言語の外の重要性を強調したヴィトゲンシュタインがいたのだということも受け取りました。

Noh先生が「人間を理解する観点」を整理された時、ヴィトゲンシュタインの精密さは明白で、

商品を作る人間の労働力で理解したマルスク、リビドーやタナトスで理解したフロイトに対し、言語使用表現能力、つまり言語の使い方で、人間の表現道具、世界を変える道具、世界を描く図、何かの表象、そしてバイブルに出てくるはじめに言葉があったと表される世界迄をも含んでいました。

そこに対し令和哲学は「今ここ完全認識獲得を通して完全観察能力で理解する」という整理で入り込みます。

このことは、ヴィトゲンシュタインが学問の挫折と共に人類は新しい言語革命と新しい認識方式、認識形式を追求するようになると予見し、

答えに辿り着けなかった彼の質問に対する答えとピッタリ繋がることに気付き胸が高揚してしまいました!

なぜなら、令和哲学は彼が願っていた新しい言語、新しい認識方式を発見発明しているからです。

イメージ言語は正に、言語の外、瓶鳥の外に出て、今ここ目で見ちゃ駄目、今ここ完全観察を体系化していることに、間違いなくヴィトゲンシュタインは喜んでいると思いました。

また、今回の質疑応答で出た質問の中で特に心に響いたのが、「究極の死」とは何か?というもの。

先生は、「生きたままで死ぬこと」が出来た時、即ち「完全死」が経験出来たら
生まれ変わるし、自分のアイデンティティが変わり完全認識を獲得できるのだと答えられ、次にスタートする「鬼滅の刃と令和哲学シリーズ」の解析が楽しみになる内容でした。

更に先生の完全観察からスタートする無意味は、遊び感覚であり、

JAPANMISSIONに繋がるVISIONであり、それを10年で世界全部を目覚めさせていく勝負だ!というお話しから、

令和哲学が単なる完全観察の体系化に留まらない全世界を抱き締めた人間共通の壮大な夢を具現化しようとしている心を感じ胸が熱くなりました。

最後にとても印象的だったのが、

「瓶鳥の外から出発したら、哲学は簡単なんだよ」という言葉。

「瓶の中は脳の観点の結果物だから、オリジナルは源泉的な動きしかないんだよ。人生は騙す騙される言語ゲームだからね!」と空気のように軽くお話しされる世界の裏に、

瓶の内外を往来する、ヴィトゲンシュタインが探し求めた言語ゲームの究極の理想を見た感じがしました。

科学や哲学のあらゆる複雑(Complex)を統制する究極のシンプルこそ、正に令和哲学が発見したイメージ言語の価値なんだなと改めて理解が深まった最終回でした。

今日からいよいよ鬼滅の刃シリーズが始まります!皆さん、映画を鑑賞してワクワクしながら一緒に視聴を楽しみましょう!

令和哲学アワードの詳細はこちらより

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