【第113回11月4日分】「特異点」ディスカバリー部門 エントリー


令和哲学
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特異点ディスカバリー部門

Morphie

Morphie(風見雅子)さん

今日の特異点

ヴィトゲンシュタインシリーズ初回となる今回、普通に聞けば間違いなく迷宮入りするところを、Noh先生の解析によりヴィトゲンシュタインがどのような人物だったかが見えて来ました。

先生曰く、ヴィトゲンシュタインは令和哲学で言うところの完全認識に到達し、哲学の終焉を宣言し言語で哲学のパラダイムを変えた存在だと言うこと。

えーーっ!!凄まじい偉業を成し遂げた人物ですよね。

前期哲学で書かれた論理哲学論考でも「話すことが出来ないことは沈黙せよ」と言ったように、彼はいくら思考論理展開が素晴らしくても、人間の思考表現に問題があるから、言語を使って思考することで問題が問題を生むことをシンプルに整理した人物でした。

けれども、そこで沈黙せよ、なぜならば「凄すぎるから!!」ということを言っていない、いや、言えなかったのは、やはり後期哲学(哲学的探求)でこれ以上割れることのない要素命題の発見に失敗し、ゼロ、無限小、極限を明確に出来なかったからということでした。

カントが大好きで、合わせてニーチェにも多大な影響を受けたヴィトゲンシュタインは、

思考可能なものは言葉で表現できるもの、そして思考不可能なものを言語の器に入れることが出来ないものであることは明確に分かっていたのです。

つまり、令和哲学が言う、瓶の中で人間が正しく知っていることは一つもない!!本当の自分は瓶鳥の外で凄すぎるんだ!!と

言語に執着してはダメだと言語の外を強調し、新しい認識体系が生まれること強くを願っていましたが、それが出来ず志半ばで終わってしまったのはとても悔しい想いをしただろうと感じました。

だからこそ、そのヴィトゲンシュタインの意思を継承し、今イメージ言語の発見と発明と共に新しい感覚を身につけることで新しい概念の拡張が起こり、

このタイミングで日本に「令和」という言葉が元号として降りていることの意味価値は計り知れず大きいということでした。

令和哲学の言語ゲーム理論は、常に1間点を使って今ここゲーム感覚、遊び感覚、祭り感覚が始まり。それを今ここ使って勢力構築をし、いかにして現実のシュミレーションを変えるのか、

瓶の内外を自由自在に行ったり来たりする1が夢を見ている全く新しいゲーム感覚です。

それは作りたい理想社会のイメージが弱かったヴィトゲンシュタインの限界をも抱き締め、ただ今ここ完全観察、完全認識に留まるのではなく、英雄産業、リゾーム組織まで作るのが令和哲学なんだという話しに心深く感銘を受けました。

あらゆる哲学の限界を包み越え、底上げ上昇させていく令和哲学のあり方が、これからの日本が理想とするべき心の姿勢態度に感じてなりませんでした。

Noh先生曰く、世界の限界は理解の限界、理解の限界は言語の限界。

新しい認識体系であるイメージ言語の体系化に成功している令和プレーヤーJAPANが歴史の舞台に登場するタイミングが近づいていますね!明日からも楽しみです。

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